島原城しまばらじょう

島原鉄道の島原駅西側約750m、徒歩12分程度で到達する。森岳城とも呼ばれ、キリシタン弾圧の中心となった城としても有名である。現在の天守閣は五層*であり、1964(昭和39)年に復元されたものである。復元された巽の櫓は北村西望*記念館、丑寅の櫓は民族資料館になっている。
 1616(元和2)年、大和から転封された松倉豊後守重政が約7年を費やして築いたもので当時は5層、破風のない塗込式の天守を中心に、大小16の櫓と多くの矢狭間をもつ実戦的な城郭であった。松倉氏は築城とともに、キリシタン大名有馬氏の領地であったこの地には、幕府の意向により強いキリシタン弾圧の政策をとった。そのため、後継の勝家の時ついに一揆がおこり、島原の乱*に発展したのである。乱後松倉氏は断絶、高力・松平・戸田の諸氏をへて安永年間(1772~81)に松平氏が入城、明治に至る。明治の御一新で解体されて、天守閣をはじめ全ての建物をなくした島原城は、石垣とお掘だけになった。島原人の心の拠り所として「お城」の復活を待ち続けてきたが、その熱意が実って1960(昭和35)年にまず「西の櫓」が、続いて1964(昭和39)年に「天守閣」を復元することができて現在に至っている。
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みどころ

5層の堂々とした姿は港に出入する船上からも美しく眺められる。城を美しく見せる写真スポットは南東部の大手門跡周辺から天守閣と石垣を1枚に収められるところ。堀には季節の花が見られて美しい。
 城の内部はキリシタン史料館として公開され、最上階の展望所からは市街や有明海・眉山を一望にする。本丸への道の桝形には「鏡石」と呼ばれる巨石が8個使われており、最大長は3mを超えるという。また、城内には300本近くの梅があり、2月上旬頃には天守閣をバックに見頃を迎える。
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補足情報

*天守閣・5層のコンクリート造:貴重な島原の乱の遺品や隠れキリシタンの史料などが展示されている。
*北村西望(きたむら せいぼう):1884(明治17)年~1987(昭和62)年は、長崎県出身で昭和時代を代表する彫刻家。記念館には西望の作品110点が展示されている。氏の代表作品長崎の平和記念像のひな型や資料もある。
*島原の乱:1637年から翌年にかけて、肥前島原・肥後天草に起こった農民一揆。幕府のキリシタン弾圧と領主の苛政に対し、益田四郎時貞(天草四郎)を首領として農民軍が蜂起(ほうき)、島原から約30km南に位置する原城にこもったが幕府の大軍により陥落、皆殺しとなった。以後幕府のキリスト教禁教令が強まる。原城はすべて破壊されたため、原城跡の丘だけが残り、ここからは有明海を挟み天草が望める。