苗木城跡なえぎじょうあと

中津川市のほぼ中央、中津川ICから約10分に位置し、恵那峡の東端で木曽川の北岸、通称城山と呼ばれる標高432mの高森山に築かれた山城。
 戦国時代大永年間(1521~1528年)に苗木の領主遠山氏によって築城された。その後、戦国の動乱の中で遠山氏は苗木城を追われたが、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに先立ち遠山友政が城を取り戻した。江戸時代は、外様大名で石高が約1万石の小藩ながらも唯一の城持ちであり、遠山氏が12代にわたり幕末まで苗木藩主を務めた。
 山全体に巨岩が露出し、岩を巧みに利用しながら狭い平場に城郭が築かれた。北側から渦巻き状に三の丸、二の丸、本丸と続き、山頂の岩の上に天守が建てられていた。今は石垣を残すだけだが、天守跡にはやぐら風の展望台が設けられ、 木曽川や恵那山、中津川の町を一望できる。
 麓には、苗木遠山史料館*がある。
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みどころ

岩山の上で平地が少ないので、懸造(かけづくり)*で補って建造物を構築する、天然の巨岩を利用する、岩の上や岩を囲いながら石垣を積むなど、自然の地形を有効に活かした城郭構造である。
 天然の巨岩を利用して構築された石垣は全国的にも非常に珍しい。 「大矢倉」などで岩を抱きかかえるように積まれた石垣が見られる。更に、石垣が年代によって異なる四種類の技法*で積まれているのも大きな特徴である。
 江戸時代は信濃と美濃の国境付近で木曽へ続く中山道と飛騨への街道を見晴らせる場所であり、軍事上重要な城だった。
 天守展望台からの眺めは素晴らしく、恵那山、木曽川、中津川市街が一望できる。苗木城跡を望む景色も素晴らしい。A1駐車場から近い「足軽長屋」からは、正面に天守展望台が見上げられて、写真撮影の好適地である*。
 天守は石垣だけだが、中津川市作成のパンフレット「国指定史跡 苗木城跡」より当時の姿をイメージさせるCGをみると、天守の概念を超えた建物として描かれており、その迫力に驚かされる。
 木曽川に架かる玉蔵大橋や城山大橋は、川と山と空の雄大な風景に溶け込んだ魅力的な苗木城が見られるビューポイントである。
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補足情報

*苗木遠山史料館:明治時代に廃寺された正岳院跡に建ち、中世・戦国時代から明治初期に至る苗木領の歴史的な文化遺産を保存・公開している。
*懸造(かけづくり):山の崖などに建物の一部を張り出して建てる技法である。岩に穴をあけ、柱を立て、そこに本丸を築いた。
*四種類の技法:石をほとんど加工しないで積む「野面積(のづらづみ)」、石をある程度加工して積む「打込接(うちこみはぎ)」、石を整形して隙間なく積む「切込接(きりこみはぎ)」、平石同士の間の谷部分に隅を立てた平石を落として積み上げる「谷積み」である。
*本来は、「四十八曲り」の急なつづら坂経由が登城道であるが、A1駐車場からは城内の三の丸が近く、現在では、登りの負担が大いに軽減された天守展望台へ向かうルートがある。