飫肥城おびじょう

酒谷川(さかたにがわ)と山川に臨む丘の上にある。約600年前までには築城されていたと考えられ、この間28年に渡る島津豊州家と伊東義祐*の攻防戦が演じられた。1588(天正16)年、伊藤祐兵(いとうすけたけ)が入城し、5万1千石の飫肥藩の居城として1871(明治4)年の廃藩置県に至った。
 難攻不落の名城として知られた飫肥城だが、石垣を残し、当時あった建築物は1873(明治6)年に取り壊され、のちに城跡に大手門が再興され、松尾の丸に武家屋敷が建てられた。城域は周囲2.5kmと広大で、本丸跡には伊東藩にまつわる資料を展示した飫肥城歴史資料館が立つ。
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みどころ

往時を偲ばせる広大な石垣が見事。復元された大手門や藩主の御殿である松尾の丸は、銘木飫肥杉で作られており、美しい。また、飫肥城歴史資料館はぜひ訪れておきたいスポット。伊東祐兵が初代藩主となってから、明治の廃藩時までの伊東家に関する資料が充実。祐兵の甲冑や刀剣をはじめ、飫肥藩ゆかりの歴史的資料220点ほどが展示され見応えがある。
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補足情報

*伊東氏:伊東氏の先祖は、源頼朝の重臣だった工藤祐経(くどうすけつね)で、その子祐時(すけとき)が伊東を名乗り伊豆国伊東に本拠を置いた。1330(元徳2)年代、伊東祐持(すけもち)が領土の一つであった日向国に本拠を移し、数代にわたり同国の中央部を支配した。1577(天正5)年、伊東義祐(よしすけ)が島津氏に敗れ没落したが、1587(天正15)年、義祐の子、伊東祐兵(すけたけ)が豊臣秀吉の九州平定に功を立て、翌年飫肥城に入城し、初代飫肥藩主となった。