島根県
印刷する古代における五畿七道の山陰道を幹線とし、中国山地を越えて陰陽を結ぶルートが主要な路線で、現在の道路、鉄道はほぼこれを踏襲している。国道9号は山陰道よりも海岸側を走る。山陽との連絡には国道54号、186号、187号、191号などがある。高速道路は、中国自動車道が県南西端部を通るほか、浜田自動車道、山陰自動車道、松江自動車道などが通じる。鉄道はJR山陰本線、木次線、山口線が通り、その他の私鉄に一畑電車がある。海上交通は七類港(松江市美保関町)と隠岐諸島を結ぶ航路があり、フェリーと高速艇が就航する。空港は出雲空港(出雲市)、隠岐世界ジオパーク空港(隠岐の島町)、萩・石見空港(益田市)があり、出雲は東京、大阪、札幌、福岡、隠岐、名古屋、静岡と連絡し、隠岐は大阪、出雲とを結び、萩・石見は大阪、東京と結んでいる。
中国地方は中国山地が東西に走り、分水界により山陰と山陽に分かれ、島根県は日本海沿岸北斜面の山陰地方西部を占める。中国地方第一の大河である江の川が流れ、江津市で日本海に注ぐ。脊梁部は標高1000m内外だが、階段状に日本海に向かうにつれて低くなり、海岸近くには丘陵が発達する。各所に盆地状の低地や谷底平野があり、中心集落を形成している。島根県は出雲、石見、隠岐の3国からなり、県東部の出雲は神戸川や斐伊川などの河川が流れている。この斐伊川は船通山を源として天井川を形成しており、下流に出雲平野や松江平野をつくる。県西部の石見は山地がちの狭長な地で、河川流域に沖積平野は発達していない。隠岐は島前・島後とよばれる比較的大きい四つの島と、約180の小島からなる。トロイデ型火山の三瓶山や青野山、玄武岩質の中海の大根島や宍道湖の嫁ヶ島がある。自然公園は、海岸景観に優れた隠岐諸島、島根半島、大山火山群の大山・蒜山、トロイデ火山の三瓶山からなる大山隠岐国立公園、県東部の鳥取・広島県境の中国山地の一部を占める比婆道後帝釈定公園、県西部の広島・山口県境の中国山地に広がる西中国山地国定公園のほか、県立自然公園が11公園ある。
出雲国を中心に古くから開けた地で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)や大国主命(おおくにぬしのみこと)らを中心に多くの神話や伝説を生んだ。縄文、弥生遺跡や古墳が数多く発見されている。大陸との交流の盛んな地域で、中国山地の砂鉄を利用したたたら製鉄も古くからあり、中世の石見国で重要な地点だった石見銀山は70年間に9回も支配者が変転するほどに銀山争奪が激しかった。日本海沿岸一帯や近畿・中部地方内陸にまで勢力範囲を広げていたが、しだいに大和朝廷の支配下に入り、国譲りをしたとされている。近世は関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏にかわって堀尾吉晴が出雲・隠岐の太守として入国し、1611年(慶長16)に松江城を築いた。1638年(寛永15)信州松本から松平直政が入国し、以後230年間、明治維新まで松平氏が松江藩政をつかさどった。1868年(慶応4)武装蜂起による隠岐騒動を経て、1871年(明治4)廃藩置県により出雲、隠岐は島根県に、石見は浜田県となり、隠岐はその後鳥取県に編入。1876年(明治9)島根県は浜田・鳥取県を包含。1881年(明治14)鳥取県を分離し、隠岐は島根県の管轄に入った。明治以後、太平洋沿岸を中心に鉄道が敷設され、近代産業も東京、大阪を中核として振興し、地理的に辺地となった島根県は近代化の波に取り残され、農業県や水産県として後進地となっていった。地域経済の近代化は1895年(明治28)の殖産10年計画から進展し、明治30年代以降の鉄道敷設により県東部の経済や文化に影響を与えた。
古くからの農業県であり、現在は第2種兼業農家が増加。米作と和牛飼育が進められ、和牛は仁多牛として有名。米は仁多米が高質な米として知られる。この他、野菜、イチゴ、チューリップ球根の栽培なども行われる。中国山地の高冷地ではキャベツなどの高冷地野菜が栽培され、海岸砂丘地域では島根ブドウやタバコ栽培が盛ん。丘陵地ではナシ、タケノコ、アマナツミカンの他に、メロン、セリ、カブ等も栽培される。また、雲南(出雲南部)はシイタケ、石見地方はクリ、県西部山間地区はワサビの産地として知られる。隠岐諸島近海は暖流と寒流が合流する好漁場で、煎海鼠(いりこ)、干しあわびなどの乾製品等の水産加工が盛んにおこなわれている。古くから砂鉄の産地で、たたら製鉄や銀採掘、木炭生産が活発だったが、現在は地場産業が細々と残存する程度。在来工業には経済産業大臣指定伝統工芸品の「雲州そろばん」、「石州和紙」、「石見焼」、「出雲石灯籠」の他にも江津・浜田両市の石州瓦、益田市の家具と仏具、松江市玉湯町の布志名焼やめのう細工、出雲市の出西焼、松江市宍道町の石灯籠、松江市の和菓子や八雲塗、安来市広瀬町の絣織物や線香、浜田市長浜の神楽面づくり、浜田や揖屋のかまぼこなどがある。
出雲地方は古代出雲文化を発展させた地域で、『出雲国風土記』が完本で残存しているなど古代からの伝統が守られている。石見地方は古代に柿本人麻呂、中世に雪舟の活躍する舞台で、石見文化はこれらの人の影響するところが大きい。隠岐は流人の島だが、後醍醐天皇の行在所である黒木御所が置かれ、都の文化が残る。城下町である松江は宍道湖のほとりにあり、松江城、武家屋敷、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)旧宅などを残している。出雲、石見、隠岐それぞれに歩んできた歴史が異なることから地域性が顕著で景観にもそれぞれ特色があり、冬の曇天を写したような出雲の黒瓦の集落、石見は赤瓦、隠岐は石置き屋根がみられる。旧暦10月は神無月(かんなづき)と称するが、出雲では神在月(かみありづき)といい、全国の神々が出雲大社に参集するとして神在祭が行われる。出雲大社ではこのほか70回もの神事が執り行われている。他にも県内各所の神社で神事、神楽が奉納され、佐陀神能、石見に伝わる大元舞、隠岐の島町の国分寺蓮華会舞(国の重要無形民俗文化財)、隠岐島後の久見神楽、出雲の槻屋神楽、美田八幡宮の田楽、益田の糸あやつり人形(選択無形民俗文化財)などがある。10年に一度の松江ホーランエンヤは大橋川を渡御する神事。民謡も多く、全国的に有名な「安来節」、「関の五本松」、隠岐には「しげさ節」や「どっさり節」が残る。文化財として、出雲市の加茂岩倉遺跡(国史跡)から出土した銅鐸39口、雲南市の国史跡荒神谷遺跡の出土品はともに国宝。古墳が多く残る他、出雲大社、神魂神社、熊野神社、佐太神社など古い歴史や伝説をしのばせる神社が多い。出雲大社本殿は大社造で国宝であり、神殿木造建築物では最大規模。出雲大社には多くの宝物があり、国宝の本殿以外の楼門などの出雲大社建造物群も重要文化財に指定されている。他にも、松江市の木幡家住宅(八雲本陣)、雲南市の堀江家住宅、吉賀町の旧道面家住宅(国の重要文化財)、雪舟が作庭したとされる益田市の医光寺庭園、万福寺庭園(ともに国の史跡・名勝)、たたら製鉄用具や東比田の山村生産用具、隠岐島後の生産用具など(国指定有形民俗文化財)などが保存されている。