熊野大社くまのたいしゃ

JR松江駅から南へ約10km、意宇(いう)川の左岸、山を背にして社殿が立つ。『出雲國風土記』733(天平5)年に熊野大社、『延喜式神名帳』927(延長5)年に熊野坐神社とあり、日本火出初神社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも称され、古来、杵築大社(出雲大社)と並んで出雲の國の大社と遇された。
  朝廷の尊崇が極めて篤く、851(仁壽元)年に従三位を、867(貞観9)年正二位の神階を賜った。1871(明治4)年には國幣中社、1916(大正5)年には國幣大社に進列された。
 伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなご かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)*を祀り、殖産興業、招福縁結、厄除の大神として衆庶の信仰が深い。
 朱塗りの神橋をわたり、石段をのぼると、正面に大きな注連縄の掲げられた拝殿、幣殿 、その奥には1978(昭和53)年に修理造営された大社造*の本殿があり、その左には母神(イザナミノミコト)を祀る伊邪那美神社と、右には妻神(櫛稲田姫)を祀る稲田神社が座している。
 境内左手にある鑽火殿 (さんかでん)は、切妻、平入り、萱葺き屋根、四方の壁はヒノキの皮で覆われ、竹の縁が巡らされている、熊野大社にある特徴的な建物である。この鑚火殿の中には、発火の神器である燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりきね)が保管されており、祭りや神事の際には神聖な神火を起こすのに使われる。
#

みどころ

神社前を穏やかに流れる意宇川には山の緑に映える朱色の八雲橋が架かっており、木々に包まれた境内は厳かな雰囲気に包まれながらも、「火の発祥」の神社ということもあってか、全体的に明るい気に満ちた感じを受ける。
 毎年10月15日には出雲大社の宮司が参向し、出雲大社(「古伝新嘗祭」)で用いる神聖な鑽火器を拝戴する鑽火祭 (さんかさい)が執り行われる。出雲大社に、燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)を受け渡す儀は「亀太夫神事」と呼ばれ、このとき熊野大社側から出雲大社が納める餅の出来ばえについて苦情を口やかましく言い立てる変わった神事で、全国でも他に例がないと言われている。熊野大社と出雲大社との関係の深さが垣間見えて興味深い。
#

補足情報

*伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなご かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと):伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)は父神である伊邪那伎命がかわいがった御子、加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまののおおかみ)は熊野の地の神聖なる神、櫛御気野命(くしみけぬのみこと)は素盞鳴尊(すさのおのみこと)の別名とされる。
*大社造(たいしゃづくり):日本最古の神社建築様式の一つで、「おおやしろづくり」とも呼ばれる。