八重垣神社やえがきじんじゃ

JR松江駅から南へ約4km。素盞嗚尊(すさのおのみこと)が八俣遠呂智(八岐大蛇)*を退治した後、須賀(現在の須我神社*)の地に至り、「私の心はすがすがしくなった」と述べ、その地に宮を建てた時にそこから雲が立ち上った。その時に歌った歌、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(1番歌)を社号の由来とする。素盞嗚尊と稲田姫命(いなたひめのみこと)の宮である須賀の宮の伝承地の一つである佐久佐女(さくさめ)の森に創建されたと伝えるが、後に式内社である佐久佐神社の境内に遷座(あるいは合祀したとも)し、現在地に鎮座したという。1872(明治5)年に社号を佐久佐神社としたが、1922(大正11)年に「八重垣神社」に復し、現在に至る。
 大社造*の本殿には、素盞嗚尊と稲田姫命を祀る。出雲の縁結びの大親神として、夫婦円満や良縁結びにご利益があると言われている。社殿後方には奥の院が鎮座し、「鏡の池」と呼ばれる神池や「夫婦杉」と呼ばれる2本の大杉、元は2本の木だった椿がくっついて1本の木となった「連理の椿」がある。
 宝物収蔵庫には、893(寛平5)年、平安時代の宮廷画家だった巨勢金岡(こせのかなおか)によって描かれたとされる六神像(素盞嗚尊、稲田姫命、天照大神(あまてらすおおみかみ)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、脚摩乳命、手摩乳命)の壁画が納められている。国の重要文化財に指定されており、もともとは本殿の壁に飾られていたが、1966(昭和41)年に修理され、宝物収蔵庫で保存されるようになった。
#

みどころ

良縁や安産を願う方が多く訪れる。拝殿の左にある門をくぐって奥に進むと、高い木々に囲まれ、木の根が網の目のように地面を這う「佐久佐女の森」にたどり着く。素盞嗚尊が稲田姫命を大蛇からかくまった場所で、鬱蒼とした樹木に覆われて薄暗く、厳かな雰囲気に包まれている。
 さらに進むと、大蛇から避難していた稲田姫命が日々の飲み水とし、また姿を写す鏡としていたと伝えられる「鏡の池」がある。池の面に紙片に銅貨を乗せて浮かべ、早く沈めば早く良縁があると言われており、訪れる人が絶えない。
#

補足情報

*八俣遠呂智(八岐大蛇):日本神話にみえる頭と尾が八つずつある巨大な蛇。出雲の簸川(ひのかわ)上流にいて、大酒を好み、毎年一人ずつ娘を食ったが、素盞嗚尊がこれを退治して稲田姫命を救い、その尾を割いて天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を得たという。
*須我神社:素盞嗚尊と稲田姫命が造ったとされる「日本初之宮」として知られている。この宮を包むようにして美しい雲が立ち上がるのを見て、素盞嗚尊が「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」と歌を詠んだことから、この須賀の地は和歌発祥の地とも言われている。
*大社造:出雲大社本殿で代表される神社建築の一様式で、神明造とともに本殿形式の最古のもの。桁行(けたゆき)2間、梁間(はりま)2間、切妻造、妻入りで、妻の中央に柱があるので、入口は向かって右側に寄せて設けられ、本殿前に向拝をつける。