日御碕神社ひのみさきじんじゃ

島根半島の西部、小島・岩礁が散在し変化に富んだ海岸線が特徴的で、稲佐浜から日御碕へつづく日御碕海岸*にあり、傾斜地を利用して権現造の社殿が立つ。朱塗の楼門をくぐると、正面に下の宮と呼ばれる日沉宮(ひしずみのみや)、右手上に上の宮と呼ばれる神の宮が鎮座するが、古く下の宮は海岸の「清江の浜」の経島(ふみしま)に、上の宮は現在地の後方の隠ヶ丘(かくれがおか)に祀られていたといわれる。現社殿は幕府直轄事業として京極忠高*が1634(寛永11)年に造営に着手し、1644(寛永21)年に松平直政*が完成させた。
 内部には華麗な内壁や天井に細密画が描かれている。宮司小野家は素盞嗚尊の子孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)以来98代を数えるという。
 出雲日御碕灯台は白亜の灯台で、約44mと日本一の高さを誇る。1903(明治36)年に点灯された石造りの洋風灯台で、海抜25mの岩盤上にある。長い螺旋階段を上ると上階のデッキに出ることができ、360度日本海を見渡せる。季節やイベントによりライトアップが行われている。
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みどころ

出雲地方には珍しい、朱塗りの社殿で見応えがある。日沉宮(ひしずみのみや)には天照大御神が祀られており、【伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん】(訳:伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」)との勅命を受け祀られたと言われている。また、上の宮には素盞嗚尊が祀られている。
 ウミネコの繁殖地としても有名で、国の天然記念物である「経島」は日御碕神社の神域となり、一般の立ち入りは禁止。年に一度の例大祭の時には、神職が船で渡り、島で神事を執り行う。
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補足情報

*日御碕海岸:稲佐浜から日御碕へつづく海岸。海岸線は変化に富み、小島・岩礁が散在し、遠くには三瓶山が望まれる。老松の生える三角錐の小島の筆投島(ふでなげじま)や、建御雷神が大国生神の子、建御名方神(建御雷神の国譲りの申入れを拒み、抵抗したが敗れて諏訪へ逃れ、諏訪大社へ祀られることとなった)と力競べをして、投じたというつぶて岩などの景観が眺められる。筆投島は稲佐浜の北、平安時代初期、画聖巨勢金岡(生没年不詳。平安初期に活躍した宮廷画家で、巨勢派の祖。多くの伝説を残すが確証ある作品はない)がその美しさを写しきれず筆を投げたという。つぶて岩は稲佐浜の北、筆投島の近くにある。国譲りの会談の時、神々が力競べをして海に投げ入れた岩だと伝わる。のろ洞窟は日御碕の東、桁掛半島の中位部。海食によりつくられた洞窟で、長さ約70m、幅約10m。見学は釣船によるしかない。
*京極忠高:1593(文禄2)~1637(寛永14)年。京極高次の長男。妻は徳川秀忠の4女初姫。1609(慶長14)年、若狭小浜藩主京極家2代。1634(寛永11)年、出雲・隠岐26万4000石に移封。子がなく、死後領地は没収されたが、のち甥の京極高和に播磨竜野6万石があたえられた。
*松平直政:1601(慶長6)~1666(寛文6)年。江戸時代前期の大名。結城秀康の3男。徳川家康の孫。大坂冬の陣に14歳で初陣。1616(元和2)年、兄松平忠直から越前木本(このもと)に1万石をあたえられる。上総姉崎、越前大野、信濃松本をへて、1638(寛永15)年、出雲松江藩主松平(越前)家初代となる。18万6000石。