隠岐牛突きおきうしつき

1221(承久3)年の承久の乱*に敗れて、隠岐・中ノ島(海士町)に配流となった後鳥羽上皇が、小牛が角を突き合わせる姿をみて喜んだことから、島前で始まった。その後、島後(隠岐の島町)にも伝わり、以来、娯楽として楽しまれてきた、現在では島後(隠岐の島町)のみで行われている。
 牛突きは、島が誇る伝承であり、現在行われている主な牛突きには、年に3回行われる「本場所」*と「観光牛突き」*がある。本場所大会における勝負は、一方の牛が逃げ出すまで、時には名誉をかけた牛たちの勝負が1時間以上続くこともある。観光牛突きでは、隠岐では負けた牛は闘争心を失って牛突きに不向きになるとされ、勝負をつけることが許されておらず、引き分けとなる。
 隠岐の牛突きの特徴として、牛突きを賭け事の対象としないこと、牛は引き綱(鼻綱)を付けたまま、引き綱を操る「綱とり」と人牛一体となって戦うことが挙げられる。
 牛突きに出場する突き牛は栄養豊富な餌を与えて毎日トレーニングを行い、畜産牛とは区別して飼育されている。また、生後半年頃から角の形を整えるのは、隠岐と愛媛県にしか見られない習慣である。
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みどころ

観光牛突きも開催される全天候木造ドーム型のモーモードームの中は円形状になっており、約1,200の観客席が土俵を取り囲む。館内には牛の四股名が書かれた旗・のぼりが飾られ、雰囲気を盛り上げている。牛は取り組みの前に荒い鼻息をたてながら場内を1周するが、体重500~1,000kgもある雄牛の巨体に驚かされる。
 取り組みは、頭を付けてのにらみ合いから始まり、やがて、ガツン、ガツンと音を立てて角と角を突き合わせ、巨体が激しくぶつかり合う。勝負がつく寸前で「引き分け」の声がかかり、スタッフが総出で荒々しい牛を引き離し、取り組みは終了する。観光牛突きとはいえ、その勢いには圧倒される。
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補足情報

*承久の乱:1221(承久3)年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、幕府に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門(つちみかど)・順徳の三上皇が配流され、朝廷方の公卿・武士の所領は没収された。乱ののち、朝廷監視のため六波羅探題を置くなど、幕府の絶対的優位が確立した。
*本場所:夏場所牛突き大会(8月15日、隠岐モーモードーム)、八朔牛突き大会(9月上旬の日曜日、佐山牛突き場、壇鏡神社の奉納行事)、一夜嶽牛突き大会(10月中旬の日曜日、一夜嶽牛突き場)
*観光牛突き:隠岐モーモードームにて不定期開催。取組は1番のみで、所要時間は約15分。有料。
関連リンク 隠岐の島旅(WEBサイト)
参考文献 隠岐の島旅(WEBサイト)
しまね観光ナビ(公益社団法人島根県観光連盟)(WEBサイト)
島根県(WEBサイト)

2024年03月現在

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