稲佐の浜いなさのはま

出雲大社西方800mほどにある海岸で、かつては弁天島の前まで波が打ち寄せていたが、近年砂浜が広がり、弁天島と浜がつながった。岩上には鳥居と祠があり、豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られている。国譲り神話、国引き神話の舞台である。
 国譲り神話では、高天原から降った建御雷神(たけみかずちのかみ)が、この浜辺に剣を立て、大国主神と国譲りの交渉をしたと伝える地である。浜より少し奥にこの談合の場所という国譲り岩が残っている。
 また「出雲国風土記」*の国引き神話では、出雲国が狭いため、八束水臣津野(やつかみずおみつぬ)命が新羅や北陸などの国の余りに「綱打ち掛けて、霜黒葛(しもつづら)くるやくるやに、河船のもそろもそろに、国来国来(くにこくにこ)と引」いてきた。それが島根半島といい、国引きの綱は薗の長浜と弓ケ浜、土地を繋ぎとめた杭が三瓶山と大山と言われる。
#

みどころ

白い砂浜は南へ向かって美しい弧を描いて長く伸び、その浜に飛び出したような半円形の弁天島が珍しく、水平線と直立する島のコントラストが美しい。
 古来、出雲は日が沈む聖地として認識され、出雲の人々は夕日を神聖視し、畏敬の念を抱いていたと考えられている。弁天島の背後に沈む夕日はことさら美しく、神秘的でもある。
 稲佐の浜に関わる風習として、大社町(現出雲市)には「塩汲み」がある。毎月1日に稲佐の浜で塩を汲み、神社参拝した後汲んで持ち帰り、玄関や神棚などを清めるものである。また、稲佐の浜の砂を素鵞社の床下の木箱に置いて(奉納して)、1年間寝かせた後に持ち帰るといった風習も残っている。持ち帰った砂を家の敷地に撒くと、清められて「厄除け」や「魔除け」の御利益が得られ、田畑に砂を撒くとよく作物が育つと言う。外部からの参拝者の場合には、木箱に砂を奉納した後、箱の中の乾いている砂を持ち帰ることで御利益が得られると言われている。心してお参りしたい。
#

補足情報

*出雲国風土記:風土記とは713(和銅6)年、元明天皇の詔によって、各国の地名伝説や、産物、土地の状態などを報告させたもので出雲・播磨・常陸・肥前・豊後などのものが伝わる。『出雲国風土記』は733(天平5)年2月、国造出雲臣広嶋らにより編纂され、ほぼ完全な形で残る唯一の風土記である。特に有名なのは意宇(おう)郡の地名の起こりとして述べる国引き神話である。ほかに安来毘売埼(やすぎひめざき)の伝説として語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)が娘を食い殺した「わに(サメのこと)」を神に祈って捕え、串刺しにして仇討ちをした話が有名である。