田儀櫻井家たたら製鉄遺跡たぎさくらいけたたらせいてついせき

島根県中部、JR山陰本線田儀駅から車で10分の所にある。たたら*製鉄とは、土製の炉の中で木炭の燃料で砂鉄を溶かして鉄をつくる日本古来の製法。中国地方では6世紀から盛んに行われた。出雲、石見地方は、良質の砂鉄と炭になる森林資源が豊富なことから、幕末から明治初頭にかけて鉄生産量の9割を占めた。
 江戸前期、奥出雲町にある可部屋櫻井家が田儀でたたらを創業し、田儀櫻井家として12代、1890(明治23年)まで約250年続いた。最盛期には多伎町から佐田町、大田市などの一帯において操業され、出雲西部の一大産業となった。当時の遺構群は現在も残され、田儀櫻井家本宅をはじめ、その菩提寺「智光院」、大鍛冶場と製鉄に従事した山内集落、製鉄神の金屋子神社などの施設が保存されている。
 国の史跡に指定されたことを契機に2012(平成24)年3月に設立された「田儀櫻井家たたら製鉄遺跡保存会」が、ボランティアガイドの養成講座の開催や史跡の見学、伝統的文化活動の継承、遺跡周辺の整備事業、広報誌の発行などを行っている。
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みどころ

田儀櫻井家が操業していた「たたら場」の1つで、佐田町にある「朝日たたら跡」ではたたら製鉄の地下構造の実物を見ることができる。
 田儀櫻井家は一時期、雲南市吉田にある田部家に次ぐ鉄の生産量があった。出雲地域の鉄師は山から砂鉄と木炭を採取するため、山間部を中心に行われていたが、田儀櫻井家は田儀浦からの海運を利用し砂鉄や木炭を運び込み、創り出した鉄は大阪や北陸へと運び出していた。
 250年間、松江藩の庇護のもとに隆盛したが、近代に入ってまもなく廃絶したことから、関連する遺構群が今も山林に良好な状態で残されている。これらの遺跡群は我が国の近世のたたら製鉄の一貫した工程を把握することができる重要な遺跡である。
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補足情報

*たたら:日本古来の砂鉄製錬炉。送風装置のふいごも「踏鞴」と書いてたたらと呼び、また製錬炉とふいごを備えた建物全体も「高殿」と書きたたらと呼んだ。たたらを用いる製鉄は、奈良時代には渡来人らによって播磨国、美作国、備前国、備中国、備後国、出雲国の山中で行なわれたことが文献にみえる。江戸時代に全盛をきわめたが、明治に洋式製鉄法が伝わるとともに衰微した。