ホーランエンヤほーらんえんや

松江市内を流れる大橋川などを舞台にして10年ごとに行われる、松江城山公園内にある「城山稲荷神社」の式年神幸祭。
 ホーランエンヤは「松江城山稲荷神社式年神幸祭」の通称で、神事で使われる櫂伝馬船(かいでんません)が櫂を漕ぐ時の掛け声から名づけられたとも、また「豊来栄弥」から生じたことばとも言われている。
 1648(慶安元)年、天候不順で凶作が予想され、これに心を痛めた松江松平家初代藩主松平直政が、稲荷神社の御神霊を、稲荷神社の社司を兼務し効験の誉れの高い松岡兵庫頭のいる阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)へ船で運び、長期にわたり五穀豊穣を祈願させた。祈願は成就し、以後式年で神幸祭が行われる慣わしとなった。五穀豊穣にあわせ、国民の健康や幸せを祈願する祭りとして受け継がれ、直近では、2019(令和元)年5月18日(土)~26日(日)の9日間にわたり開催された。
 祭りの1日目は「渡御祭」で、御神霊が大橋川まで運ばれ、神輿船に移される。船行列は、御神霊を乗せた神輿船、神輿船を曳く櫂伝馬船、城山稲荷神社と阿太加夜神社の船団など約100隻が連なり、延々1kmに及ぶ。馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の5地区は「五大地*」と呼ばれ、神輿船の曳船となる櫂伝馬船を繰り出す。帆柱の先端に金色の宝珠を飾り、色とりどりの幟旗や吹流しをなびかせる。櫂伝馬船には総勢50人ほどが乗り込み、ホーランエンヤの舟唄や太鼓に合わせて船上で櫂伝馬踊りが奉納される。大橋川から中海へと進み、夕刻、阿太加夜神社へ着き、御神霊が安置されて、初日の行事を終える。
 翌日から7日間、阿太加夜神社で祭事が営まれ、4日目の中日(なかび)には櫂伝馬船の乗り手も加わり「中日祭(ちゅうにちさい)」が行われ、神社に通じる約1kmの道を車輪のついた「陸船」をひきながら、勇壮な踊りが披露される。9日目は「還御祭」で、阿太加夜神社を発して再び大船行列で進み、御神霊は城山稲荷神社にお帰りになる。
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みどころ

10年に一度しか見られない絢爛豪華な大船行列。約100隻の船が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる一大絵巻は圧巻。
 五大地と呼ばれる地域の人々が色とりどりに装飾した櫂伝馬船に乗り組み、披露される櫂伝馬踊りは勇壮そのもの。威勢のいいホーランエンヤの唄声に整然と揃う櫂さばき、舳先で威風堂々見得を切る歌舞伎風衣装の剣櫂、艫で艶めかしく身をくねらす女姿の采振りと、見どころが満載。歌の言葉や調子、節回しなどは五大地それぞれに特徴があり、剣櫂や采振りの踊りや衣装も少しずつ違うので、聞き比べ、見比べると面白い。
 2019(平成31)年3月に「松江ホーランエンヤ伝承館」がリニューアルオープンした。シアタールームでは臨場感あふれる大画面でホーランエンヤの記録映像を観賞できる。中庭には実物の半分程度の大きさの櫂伝馬船が置かれている。展示室には貴重な写真や資料、年表などのほか、五大地それぞれの衣装を身に着け、ポーズを決めた等身大の人形が並んでいる。次回の開催がますますの楽しみになってくる。
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補足情報

*五大地:1808(文化5)年、嵐で沈没寸前となった神輿船を、大橋川河口付近の馬潟村の漁師が助け、曳航して送り届けた。そこから馬潟の船が曳船役として参加するのが慣例になると、神幸祭のたびに馬潟付近にある矢田、大井、福富、大海崎という地域の漁師たちが船団に加わり、この5つの地域は「五大地」と呼ばれるようになった。五大地が初めてそろった1848(弘化5・嘉永元)年から、櫂伝馬船の上で歌って舞う櫂伝馬踊りが始まったという。