三瓶山さんべさん

大田市街の南東約14km、出雲・石見の国境にそびえる鐘状火山群。最高峰は男(お)(親(おや))三瓶で1,126m、ほかに女(め)(母(はは))三瓶(953m)・子三瓶(961m)・孫三瓶(903m)などの6峰が、室の内*と呼ばれる火口を環状に囲んでいる。『出雲国風土記』*では国引きの柱となり、佐比売山(さひめやま)と記されているが、史上に爆発の記録はない。
 男三瓶の山頂は平坦で金比羅祠が立ち、北方はるかに隠岐諸島まで見渡すほど、眺望が広い。男三瓶を頂点として北東斜面に広がる63万m2と室の内の60万m2の「三瓶山自然林*」は、天然記念物に指定されている。
 山の春は5月から。姫逃(ひめのが)池畔のカキツバタが紫色の花をつけ、高原一帯の山菜、ワラビ・ウド・タラノメなども食べごろとなる。夏は、北の原*・東の原*でキャンプや登山、高原のハイキング*シーズン。夏から秋にかけては、雲海が谷あいを埋め、山頂だけが小島のように浮かぶ景色が見られる。秋の紅葉は全山を彩る。
 東西の裾野は広い原野で多くの温泉が湧出し、南麓の三瓶温泉は鉄分を多く含む茶褐色の濁り湯が特徴的である。
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みどころ

1,000m前後の山々から石見を見渡せる眺望に優れ、眼下の自然林も雄大である。山頂の火口湖(室の内池)もよい。
 四季それぞれに見所があり、毎年3月末には三瓶山に春の訪れを告げる「火入れ」が行われる。草原環境維持のため、枯れ草に火を放つこの行事は、一面に炎が燃え広がる光景が見所である。
 7月初旬から8月末には、約1,000個の風鈴が三瓶温泉街を彩る「ふうりんおんせん」が開催される。11月中旬から12月上旬にかけて、浄善寺の大イチョウが紅葉シーズンを迎える。樹齢600年以上の大イチョウの下には「黄金の絨毯」ができる。2月中旬に行われる「さんべ志学の雪あかり」では、雪で作った約3,000個の小さなかまくらに灯るキャンドルが冬の夜を照らす。
 夜の三瓶は、星空の大パノラマを体感できるスポットであり、島根県立三瓶自然館サヒメルの天体観察では学芸員による解説もある。また、三瓶山の火山活動により地底に埋もれた太古の巨木群を展示している「三瓶小豆原埋没林公園」も興味深い。
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補足情報

*室の内:男三瓶を筆頭にして環状に連なる山に囲まれた盆地。もとの噴火口で、東西1km、南北1.3km。松・杉の老木や、グミ・マキなどが密生して、小庭園を作っている。大平山の麓には火口湖の室の内池があり、これをめぐって室の内研究路が通じている。
*出雲国風土記:風土記とは713(和銅6)年、元明天皇の詔によって、各国の地名伝説や、産物、土地の状態などを報告させたもので出雲・播磨・常陸・肥前・豊後などのものが伝わる。『出雲国風土記』は733(天平5)年2月、国造出雲臣広嶋らにより編纂され、ほぼ完全な形で残る唯一の風土記である。特に有名なのは意宇(おう)郡の地名の起こりとして述べる国引き神話である。出雲国が狭いため、八束水臣津野(やつかみずおみつぬ)命が新羅や北陸などの国の余りに「綱打ち掛けて、霜黒葛(しもつづら)くるやくるやに、河船のもそろもそろに、国来国来(くにこくにこ)と引」いてきた。それが島根半島といい、国引きの綱は薗(その)の長浜と弓ケ浜、土地を繋ぎとめた杭が三瓶山と大山といわれる。ほかに安来毘売埼(やすぎひめざき)の伝説として語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)が娘を食い殺した「わに(サメ)」を神に祈って捕え、串刺しにして仇討ちをした話が有名である。
*三瓶山自然林:樹齢は50~60年、標高が高いほど樹齢が増し、ブナ・コナラ・ミズナラ・ケヤキ・栗が多い。下草にはシダ・ミヤマカタバミ・コツブアオイが見られる。林には遊歩道が通じ、入口脇に指書の名号とよばれる名号石があり、名号の松の根元、高さ1.5mの自然石に「南無阿弥陀仏」と刻まれている。親鸞上人の弟子、明光上人が、指先で書いたものと伝えられる。
*北の原:三瓶山の北麓。中心は長者ガ原と呼ばれ、整備されたオートキャンプ場である。小高い丘の上には姫逃池があり男三瓶が影をおとして眺めがよい。池は、今まで水の涸れたことがないと伝え、長者姫の伝説(三瓶を城とする山賊の首領と、若者と長者姫との三角関係。若者は山賊に殺され、姫は池に投身した。カキツバタは、この姫の生まれ変わりという)が残っている。池の面には、白・紫のカキツバタが群生し、浮島のようになってみごとである。盛りは5月下旬。
*東の原:三瓶山東麓のなだらかな草原。観光リフトが大平山展望台までかかり、三瓶登山に利用されている。展望台からの眺めが広く、特に室の内が一望。
*ハイキング:高原を歩くコースと三瓶登山の健脚向きコースがあり、西の原*・三瓶温泉・東の原・北の原の各拠点のいずれかを結んで歩くことになる。道標が整っているが、三瓶登山コースをとる場合にはかなりの登山用の身支度が必要である。
*西の原:定の松周辺をいう。この松は石見銀山の奉行大久保石見守が一里塚として植えたと伝えられる。一帯は大草原で、男・子・孫の三瓶山を間近に仰ぎ、雄大な景観が広がる。