玉若酢命神社たまわかすみことじんじゃ

本土と島後島(隠岐の島町)の玄関口である西郷港から車で5分のところにある。
 隠岐の総社として創建された延喜式神名帳に記載の古社。社伝によると景行天皇が皇子を各国に分離した際に隠岐に遣わされた大酢別命の御子が玉若酢命だと伝えられている。宮司を務める億岐家は「隠岐国造」 の家系で、億岐家に保管されている隠岐国駅鈴*と隠伎倉印*は国の考古資料に指定されている。
 現在の本殿は、1793(寛政5年)の建築で、様式は大社造に春日造を加味した、俗に隠岐造といわれる独特なものである。南向き切妻、妻入り茅葺で、中央に片流れの向拝がついている。本殿と旧拝殿と随神門は、国の重要文化財に指定されている。
 社殿の前には、樹齢2000年といわれる高さ29m、目通りの周囲10m、日本でも有数の巨木・八百杉(やおすぎ)*があり天然記念物に指定されている。
 神社の前方の高台は、国府の跡と想定される。神社の北西側の丘陵には、前方後円墳1基(8号墳)と円墳14基の計15基からなる玉若酢命神社古墳群がある。
 6月の例祭では、馬入れ・神幸・お田植・流鏑馬(やぶさめ)などが繰りひろげられる。
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みどころ

茅葺き屋根の本殿は、千木(ちぎ)、堅魚木(かつおぎ)のうえに、雀踊(すずめおどり)と呼ぶ横木がおかれ、素朴ななかにも威厳を感じる建物である。
 境内にある隠岐三大杉のひとつ「八百杉」には、根本の洞穴に大蛇が閉じ込められており、樹木に耳を近づけると大蛇の大いびきが聞こえるという古くからのいわれが残っている。
 玉若酢命神社の神事であり、島後の三大祭りのひとつである「御霊会」のクライマックスは、”馬入れ神事”である。大太鼓の合図とともに、鳥居前に待機していた神馬が細い参道を駆け上がり、それをもって祭礼を始める。随神門の間は狭く、その間を走らせるため迫力がある。また馬が上がりやすいよう、段差の低い階段が設けられている。
 神社に隣接している億岐家住宅の宝物館では、駅鈴や倉印などの古代の音色を説明とともに聞くことができる。
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補足情報

*隠岐国駅鈴:奈良時代に始まった駅伝制で使用された鈴。現在伝えられている2つの駅鈴は、国内唯一の存在例といわれ、1935(昭和10)年に国の考古資料に指定された。
*隠伎倉印:奈良時代、諸国において税を徴収し貯蔵しておく倉があり、そのうち正税を貯蔵するものを正倉といった。この正倉に貯蔵されている正税の出納の際に使用されたのが正倉印。国司が所持し、出納の事務処理に関して捺印したものと言われている。現在残っているのは駿河国、但馬国、隠岐国の3つ。隠伎倉印は1935(昭和10年)に国の考古資料に指定された。
*八百杉:むかし、若狭の国から雲に乗って来た比丘尼(びくに)が、神前に杉苗を植えて、800年後に再び来るといって去ったといういい伝えから、この杉を八百杉と呼ぶ。