美保神社みほじんじゃ

島根半島の東、美保関港を目の前にする山麓にある。創建は未詳だが、「出雲国風土記」(733(天平5)年)に記載のある古社。事代主神(ことしろぬしのかみ)の総本宮で、母神である三穂津姫命(みほつひめのみこと)をともに祀る。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大国主命の第一子といい、えびす様の名で知られ、漁業及び海上安全の神として信仰されている。三穂津姫命(みほつひめのみこと)は高天原から稲穂をもって降られた神という。海上安全、大漁満足、五穀豊穣、商売繁盛の守り神として崇敬を集める。
 本殿は大社造りを二棟並べて装束の間でつないだ建築で、比翼大社造りまたは美保造りと言われる非常に珍しい形式。様式的には戦国期まで遡ることができるが、吉川広家が征韓戦捷の奉賽とし1596(文禄5年)に造営した本殿は、1800(寛政12)年の美保関大火にて焼失した。現在の建物は1813(文化10年)建立のもので、1982(昭和57)年に国の重要文化財の指定を受けた。
 美保神社のある美保関はかつて北前船などが多く行き交う船の要衝地、風待ちの港として栄えていた。「関の明神さん(えびす様)は鳴り物好き、凪(なぎ)と荒れとの知らせある」と、船乗り達が言い伝えたことから、船乗りの美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願のため、様々な地域から夥しい数の楽器が奉納されてきた。
#

みどころ

目の前に美保湾が広がる港町に建っている。鳥居の前に敷かれた青色畳石と呼ばれるこの石は、海から引き上げられ敷き詰められた天然石で、雨に濡れると淡い青色になる。
 比翼大社造りまたは美保造りと言われる非常に珍しい形式の本殿は必見。また、拝殿は1928(昭和3)年のものだが、明治神宮や築地本願寺などを手がけた建築家の伊東忠太*の設計監督で、船庫を模した独特な形状は、海の神様(えびす様)を祀る神社にふさわしく、興味深い。
 毎日、神様に日々のお供えを献上し、その御恩に感謝する祭事(朝御饌祭・夕御饌祭)が行われており、祝詞が響き、巫女舞が奉納される様を拝観することができる。
 12月3日に行われる諸手船*神事は、天つ国の使者が船に乗って国譲りの交渉にやって来る様子を再現したもので、美保関港内を2隻の諸手船が水を掛け合いながら廻る。ヤァ、ヤァのかけ声も勇ましく、各地から多くの見物客がつめかける。
 事代主神(ことしろぬしのかみ)の父神は出雲大社に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)でもあることから、美保神社と出雲大社の両神社を参拝する(両参り)と、良縁を結ぶと言われている。
#

補足情報

*伊東忠太:建築家、建築史家。 1892年東京大学造家学科卒業、1905年より同大学教授、のち名誉教授。東洋および日本の建築史の体系を初めて樹立し、文化財の保存に尽した。学士院会員、日本芸術院会員、43年文化勲章受章。 02年関野貞とともに中国の雲崗石窟を初めて日本に紹介した。主要作品は、平安神宮 (1895)、明治神宮 (1920)、築地本願寺 (34) など。主著『伊東忠太建築文献』『支那建築装飾』など。
*諸手船(もろたぶね)は2本の丸太を別々にくりぬいて継ぎ合わせた(古代には一本の丸太で造った)2枚仕立のもので、長さ 6.3m、大1、小8の櫂によって動かすように作られており、古代くり船の系譜をひくものとして国の重要有形民俗文化財に指定されている。