鰐淵寺がくえんじ

一畑電鉄雲州平田駅から西へ約7km、島根半島西側の北山山中にある。
 594(推古2)年創建の天台宗の名刹。平安時代末期に修験道の霊地として全国に知られ、多数の堂塔を擁した。14世紀にはそれまで北院・南院に分かれていた寺内が和合・統一し、根本堂が創建された。
 また、出雲大社の祭事において鰐淵寺僧が大般若経転読(だいはんにゃきょうてんどく)を行う等、大社と強い結び付きを有するようになった。
 幾度もの火災に遭うが、現存する根本堂、摩陀羅神社などが荘厳に佇み、苔むした石垣や石段と相まって、往時の繁栄の片鱗をうかがうことができる。
 根本堂の手前左手の杉木立の奥にある浮浪ノ滝は、開基智春が仏法隆昌を祈って修験の折、誤って仏具を滝壷に落とした際、淵がにわかに盛りあがり大きな鰐(ワニザメ)が現れて仏具を鰓(えら)にかけて捧げたとの伝説をもっており、寺号の由来となっている。
 寺宝には692(持統天皇6)年を示す壬辰年在銘の推古仏である聖観音菩薩立像をはじめ、多くの仏像・書画を蔵している。寿永2(1183)年銘の銅鐘*は、弁慶が一夜のうちに大山から持ってきたものといわれる。
#

みどころ

駐車場から木々が繁り少し薄暗い参道を15分ほど歩くと仁王門に到着する。仁王門の先に本坊があり、そこから根本堂までは、弁慶が釣鐘をかついで上がったとされる長い階段が続く。静謐な雰囲気は、そこが修験道の霊地であったことを思い出させる。
 一転、赤橙黄色に染まる木々が山全体を彩る秋には、紅葉まつりも開催されて多くの人で賑わう。仁王門付近から山上の根本堂にかけての路は紅葉のトンネルが続き、敷き詰められた落ち葉の絨毯の上をサクサクと歩くのも心地よい。
 武蔵坊弁慶が修行したことでも有名で、弁慶が大山寺(鳥取県大山町)から一夜にして持ち帰ったとされる「銅鐘」などゆかりの品々が伝わる。
#

補足情報

*銅鐘:弁慶は1151(仁平元)年に松江市に生まれ、18歳から3年間、鰐淵寺にて修行し、その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられている。壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした弁慶は再び出雲の地に戻り、その道中、「大山寺」(現在の鳥取県大山町の山中にある寺)の釣鐘をかつぎ、鰐淵寺まで約101kmある山道を一晩で持ち帰ったと伝えられている。その銅鐘は国の重要文化財に指定され、現在は古代出雲歴史博物館に寄託されている。