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タイプ「史跡」

岩宿遺跡の写真

写真提供:岩宿博物館

岩宿遺跡 ( 群馬県 みどり市 )

岩宿駅の北西1kmにある、旧石器時代の遺跡。縄文時代の遺跡は関東ローム層の上に堆積した黒色土層から出土するのに対し、岩宿遺跡では関東ローム層の中から遺物が出土したので、縄文時代以前の旧石器文化が日本にもあったことを裏付けたとされている。  発見者の相沢忠洋氏*と明治大学考古学研究室による発掘調査個所に岩宿遺跡の碑が立つ...

上野三碑(金井沢碑・山上碑・多胡碑)の写真

写真提供:高崎市教育委員会

上野三碑(金井沢碑・山上碑・多胡碑) ( 群馬県 高崎市 )

群馬県下にある金井沢碑・山上碑・多胡碑という平安時代より古い3つの碑をいう。それぞれの碑には覆堂が立っているが、一定時間の照明でのぞき窓から見ることができ、またテープによる解説を聞くことができる。 <金井沢碑>  根小屋駅の南西、小高い丘の中腹に立つ。高さ1.1m、幅0.7m。碑面には726(神亀3)年、群馬県下賛郷の豪族三家の...

保渡田古墳群の写真

写真提供:高崎市教育委員会

保渡田古墳群 ( 群馬県 高崎市 )

高崎市保渡田・井出にまたがる田園地帯の中に点在する3つの大きな丘が保渡田古墳群で、八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳の総称。3つの古墳は、約1,500年前の豪族が葬られた墓で、いずれも墳丘長約100mの前方後円墳。広大な二重の堀を巡らし、多量の埴輪を立て並べていたという。  八幡塚古墳・井出二子山古墳を中心とする地域は「上毛野...

さきたま古墳公園の写真

さきたま古墳公園 ( 埼玉県 行田市 )

市の南東部、県名発祥の地に所在する古墳群。二子山*・鉄砲山・稲荷山古墳など8基の前方後円墳と1基の円墳、日本最大級の円墳である丸墓山古墳*、方墳の戸場口山古墳などの総称。もとは近辺に多数の小円墳があったことが確認されており、関東地方でも有数の古墳群といえる。これらは武蔵国造の一族の墳墓と考えられている。  稲荷山古墳...

和銅採掘遺跡の写真

和銅採掘遺跡 ( 埼玉県 秩父市 )

「続日本書紀」によると、708(慶雲5)年に「武蔵国秩父郡、和銅を献る」とあり、自然銅(にぎあかがね)を朝廷に献上したとある。貨幣を鋳造した朝廷では宣命を発し、年号を和銅と改めた。和同開珎は長い間わが国最初の貨幣とされていたが、1999(平成11)年の富本銭(ふほんせん)の出土によりその座を譲ることになった。  しかし、富本...

吉見百穴の写真

写真提供:吉見町役場

吉見百穴 ( 埼玉県 吉見町 )

東松山市との境界付近は凝灰岩質砂岩の丘陵で、白い岩肌にたくさんある横穴が、まるで蜂ノ巣のような奇観を呈する。江戸時代には十数個が開口し、不思議な存在であった。  吉見百穴には横穴住居説をめぐる激しい論争の歴史がある。オーストリア公使シーボルトの視察以来有名になり、1887(明治 20)年には当時の東京帝国大学生坪井正五郎ら...

草加松原の写真

写真提供:草加市教育委員会

草加松原 ( 埼玉県 草加市 )

1630(寛永7)年、草加に日光街道第二の宿駅が開かれ、その後草加宿の北に接する綾瀬川の西側に松並木が整備された。  江戸時代の往時の面影を残す松並木となった。しかし、1970年代になると、排気ガスなどの影響で成木は70本にまで著しく減少し、それを憂えた市民が松並木保存会を結成して、松の保護や補植に取り組んだ結果、623本まで回...

加曽利貝塚の写真

写真提供:加曽利貝塚博物館

加曽利貝塚 ( 千葉県 千葉市 )

加曽利貝塚は、直径140mの環状である縄文時代中・後期の北貝塚と、直径190mで馬蹄形をした縄文時代後・晩期の南貝塚が8字形に連結した、日本最大級の貝塚である。貝塚やその周辺からは多数の住居跡が発見されており、この地域の中核的な「ムラ」の跡が拡がっている。2017(平成29)年に、縄文時代の遺跡としてはわが国で4箇所目となる国指定特...

永福寺跡の写真

永福寺跡 ( 神奈川県 鎌倉市 )

鎌倉宮から瑞泉寺に向かう途中にある。永福寺は、源頼朝が、源義経など奥州攻めで亡くなった数万の将兵の鎮魂のため、平泉の毛越寺・中尊寺に範をとり、1192(建久3)年に造営したもの。歴代の将軍たちによる蹴鞠や花見なども行われた。  二重屋根の本堂は二階堂と呼ばれ、今の地名の起こりとなった。阿弥陀堂・薬師堂ほかの堂塔に池をめぐ...

石人山古墳の写真

石人山古墳 ( 福岡県 広川町 )

八女市と広川町にまたがる八女丘陵には大小約300基の古墳がある。これらの古墳群のうち代表的な石人山、岩戸山、乗場、善蔵塚、弘化谷、丸山塚、丸山、茶臼塚の八基が八女古墳群として1978(昭和53)年史跡に指定された。  その中の一つ石人山古墳は、長峰丘陵の一部を利用し5世紀前半代に築造された八女地方最古の前方後円墳。最古期の装...

岩戸山古墳の写真

写真提供:岩戸山歴史文化交流館

岩戸山古墳 ( 福岡県 八女市 )

八女古墳群のひとつである岩戸山古墳。墳丘長約135m、全長170m以上の規模を誇る北部九州最大の前方後円墳である。古墳の形の特徴として、後円部の北東側に1辺約43mの方形区画が存在する。筑紫君磐井の墓といわれ、石人・石馬や多くの埴輪が出土。出土品は八女市岩戸山歴史文化交流館に多数展示。

三井三池炭鉱跡の写真

写真提供:大牟田市

三井三池炭鉱跡 ( 福岡県 大牟田市 / 熊本県 荒尾市 )

1469(文明元)年に、地元の農夫が焚き火の中で燃える石を見つけたというのが、大牟田における石炭発見の歴史だと伝わる。  江戸時代から採掘が行われ、1873(明治6)年には官営化され、西洋技術による近代化を進めていった。1889(明治22)年、三井財閥に払い下げられ、勝立坑、宮原坑、万田坑などを次々と開坑。日本の近代化を支えてきた...

大宰府政庁跡の写真

写真提供:太宰府市

大宰府政庁跡 ( 福岡県 太宰府市 )

大宰府は律令制下において九州を治め、外交と防衛を担った地方役所。大陸に近いという立地の重要性から対外交渉を担うなど朝廷から大きな権限を与えられた時期もあった。7世紀後半に太宰府市内にその中枢がおかれ、その遺跡が残っている。  現在、大宰府政庁跡は3基の石碑の立つ辺りが正殿跡、ほかに中門・南大門・東殿・西殿などの礎石が...

王塚古墳の写真

写真提供:王塚装飾古墳館

王塚古墳 ( 福岡県 桂川町 )

JR桂川駅の北500mに位置する。6世紀中ごろに造られたと推定される前方後円墳で、横穴石室内部のいたるところに描かれた装飾壁画で知られる。玄室は長さ4.43m、幅3.00m、奥壁に沿い複式棺床がある。壁画は赤・黄・緑・白・黒の5色を使用して三角文、靫、盾、大刀、弓、蕨手文、双脚輪状文、同心円文、珠文や馬などが描かれ、美術史上でも非常...

竹原古墳の写真

竹原古墳 ( 福岡県 宮若市 )

市の中心部の西方、竹原の諏訪神社の境内にある。円墳と推定され、6世紀後半ごろの優れた壁面古墳として知られる。石室は前室をもつ横穴式石室で全長6.7m。奥壁下部の横2m、縦1.4mの緑泥片岩に黒と朱の2色を用い、一対の翳(さしば)*をはさんで人物や怪獣、馬、舟などを大胆な筆致で描いた原始絵画が鮮やかに残る。一説には怪獣は青竜で、...

日岡古墳の写真

日岡古墳 ( 福岡県 うきは市 )

若宮八幡神社の境内に立地。月岡古墳、塚堂古墳とともに若宮古墳群を形成する。  6世紀前半に造られたとされる装飾古墳として有名で、全長約74m、高さ約5m。後円部には横穴式石室があり、奥の壁面には赤、白、緑の3色で同心円文、三角文、わらび手文など、幾何学的な文様が描かれている。周囲の壁にも武具や魚、船、馬、獣などが描かれてい...

吉野ヶ里遺跡の写真

吉野ヶ里遺跡 ( 佐賀県 吉野ヶ里町 / 佐賀県 神埼市 )

旧神埼町・旧三田川町、旧東脊振村の3つのエリアにまたがる国内最大規模を誇る弥生時代の環濠集落跡。1986(昭和61)年から発掘調査が行われ、「魏志倭人伝」に記された邪馬台国を彷彿とさせるということで全国の注目を集めた。周囲を外壕に囲まれた遺跡の面積は、約40万m2。450を超える竪穴住居跡や甕棺墓列、集落のリーダーたち...

田染荘の写真

写真提供:豊後高田市

田染荘 ( 大分県 豊後高田市 )

火山活動でできた円錐形の国東半島。その南部に広がる田染盆地では、743(天平15)年の墾田永年私財法の成立によって、この地を豊かな水田地帯にしようと、農民や宇佐神宮が尽力。誕生したのが、この田染荘だ。宇佐神宮の「本御荘十八箇所」とよばれる根本荘園のひとつで、最も重用視された荘園として栄えた。土地の地形をそのまま利用した、...

臼杵石仏の写真

写真提供:臼杵石仏事務所

臼杵石仏 ( 大分県 臼杵市 )

凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖石仏。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われる。その規模と数、また彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、1995(平成7)年6月15日には磨崖仏では全国初、彫刻としても九州初の国宝に指定。61体ある中、59体が国宝となった。石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第1群(...

西都原古墳群の写真

西都原古墳群 ( 宮崎県 西都市 )

西都原は西都市街の西方に北から南に延びる東西2.6km、南北4.2kmにおよぶ洪積台地。この標高60mほどの平坦な台地上に、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)や木花開耶姫(このはなさくやひめ)の墓とされる古墳をはじめ、4世紀初頭から7世紀に造られた300基以上の大小さまざまの古墳が続き、全国初の特別史跡公園として整備されている。  公園は花...

薩摩国分寺跡の写真

写真提供:薩摩川内市川内歴史資料館

薩摩国分寺跡 ( 鹿児島県 薩摩川内市 )

741(天平13)年、聖武天皇の命により、鎮護国家を願って全国に建立された国分寺*の一つ。川内川の右岸の台地にあたり、その敷地は南北約130m、東西約118mと推定され、その区域内に国分寺の建物が立っていたことがほぼ判明している。発掘調査は1968(昭和43)年から始まり、金堂跡、掘立柱の建物跡、講堂基壇跡、塔跡、西金堂跡などの遺構が...

尚古集成館の写真

写真提供:株式会社 島津興業

尚古集成館 ( 鹿児島県 鹿児島市 )

島津家の歴史や文化と、集成館事業を紹介する博物館。仙巌園(せんがんえん)正面入り口の左手にあり、1865(慶応元)年に竣工した日本最古の石造洋式機械工場「旧集成館機械工場」の建物を使っている。島津家28代斉彬(なりあきら)は造船、造砲、ガラス製造、紡績などの事業を展開し、磯に一大工場群「集成館」を作った。薩英戦争でこれら...

玉陵の写真

玉陵 ( 沖縄県 那覇市 )

首里城の西、守礼門から約200m離れた場所にある第2尚氏王統の陵墓。1501(明応10・文亀元)年、尚真王が父である尚円王のために造営した壮大な石造建造物で、墓域は2,442m2。外庭と内庭に区切られ、内庭に墓室がある。3つに分かれた墓室の出入口には石扉が設けられ、墓室の左右を獅子像が守っている。中央の墓室は洗骨前の遺骸を...

ひめゆりの塔の写真

ひめゆりの塔 ( 沖縄県 糸満市 )

沖縄戦さなかの1945(昭和20)年3月末、沖縄県立第一高等女学校および沖縄師範学校女子部の生徒222名と、引率教職員18名が看護要員として動員された。ひめゆり学徒隊は、この看護隊の通称である。米軍上陸後も最後まで軍と行動を共にし、多くの犠牲者を出すこととなった。  ひめゆりの塔は、もっとも多くの犠牲者を出したといわれる第三外...

平和祈念公園の写真

平和祈念公園 ( 沖縄県 糸満市 )

沖縄本島南部、沖縄戦終焉の地である糸満市摩文仁の切り立った海岸線を望む台地に広がる公園。  1945(昭和20)年4月、沖縄本島に上陸した米軍は激戦を繰り広げながら、日本軍をじわじわと追い詰めた。ついに、沖縄守備軍は首里を撤退して、住民を巻き込みながら南下したため、沖縄本島南部は沖縄戦最大の激戦地となり多大な犠牲者を出した...