古市古墳群
2019(令和元)年7月、百舌鳥(もず)古墳群とともに、「百舌鳥・古市古墳群」として49基が世界遺産に登録された。百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期(4世紀後半から5世紀後半)にかけて築造された、古代日本列島の王たちの墓群である。古代日本の政治文化の中心地の一つであり、大陸に向かう航路の出発点であった大阪平野に位置する。本資産には、世界でも独特な鍵穴形で、最大長がおよそ500mにもおよぶ巨大な古墳を含み、これらとさまざまな大きさと形状の中小古墳が密集して群を形成している。(世界遺産 百舌鳥・古市古墳群WEBサイト参照)
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産49基のうち、古市古墳群では26基が構成資産になっている。古市古墳群は、大阪府東南部、羽曳野市と藤井寺市にかけて、東西・南北各4kmの範囲に、応神天皇陵古墳をはじめとする前方後円墳13基、方墳11基、円墳2基が連綿と続く。石川西岸に群在する允恭(いんぎょう)天皇陵古墳*、仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳*、古室山(こむろやま)古墳*、応神天皇陵古墳と陪塚群、白鳥陵古墳*、仲哀天皇陵古墳*、津堂城山古墳*などが示すように200m以上の大型古墳が4世紀後半~5世紀後半に次々と造営された。
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産49基のうち、古市古墳群では26基が構成資産になっている。古市古墳群は、大阪府東南部、羽曳野市と藤井寺市にかけて、東西・南北各4kmの範囲に、応神天皇陵古墳をはじめとする前方後円墳13基、方墳11基、円墳2基が連綿と続く。石川西岸に群在する允恭(いんぎょう)天皇陵古墳*、仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳*、古室山(こむろやま)古墳*、応神天皇陵古墳と陪塚群、白鳥陵古墳*、仲哀天皇陵古墳*、津堂城山古墳*などが示すように200m以上の大型古墳が4世紀後半~5世紀後半に次々と造営された。

みどころ
古市古墳群について詳しく知りたいなら、羽曳野市文化財展示室を訪れるといいだろう。展示品の数は100点以上を誇り、古市古墳群から出土した貴重な埴輪をはじめ、峯ヶ塚古墳から出土した副葬品が展示されている。古墳は盗掘されていることも多いが、ここでは豪華な装飾品を間近で鑑賞できる。また、藤井寺市にあるガイダンス施設「まほらしろやま」では、城山古墳で出土した埴輪の展示や石棺の実物大レプリカを見ることができる。さらに藤井寺市立生涯学習センター「アイセルシュラホール」の2階歴史展示ゾーンでは津堂城山古墳で出土した水鳥形埴輪をはじめ、西墓山古墳の鉄器埋納施設や土師の里8号墳で出土した円筒埴輪棺などを見ることができる。

補足情報
*允恭天皇陵古墳:近鉄土師ノ里駅の北側、前方部が北面した前方後円墳。古市古墳群の北東端に位置する仁徳天皇第4皇子の允恭天皇の陵墓と伝えられ、全長230mと壮大。3段築成、もとは二重の濠と堤が巡っていたことが分かっている。付近には陪塚も多い。
*仲姫命陵古墳:近鉄土師ノ里駅の南西にある応神天皇の皇后仲姫命の陵墓とされている前方後円墳。周堤の一部が古市古墳群として史跡に指定されている。全長290m、外堤を含めると約400m、古市古墳群のなかでは一番高所に位置し、応神天皇陵古墳よりも古い時期に造られた。
*古室山古墳:仲姫命陵古墳の向かい側にある古墳。赤面山古墳・大鳥塚古墳などとともに、古市古墳群として史跡に指定されている。全長150mの前方後円墳で、墳丘まで登ることができる。墳丘長からの眺望がよく、周囲からも古墳がよく見えるように造られている。
*白鳥陵古墳:伝承によると日本武尊の白鳥陵とされている。日本武尊は伊勢能褒野(のぼの)で薨じたあと白鳥となって飛びたち大和・河内に降りたったので墓を造ったという。羽曳野の市名はこの伝説によっている。近鉄古市駅の南西にあり、近くの芦ヶ池から見ると葛城山・金剛山を背にした姿は趣深い。周堤の一部が古市古墳群として史跡に指定されている。全長200mの前方後円墳で、前方部が後円部に比してかなり大きいため、5世紀後半の築造と思われる。
*仲哀天皇陵古墳:葛井寺(ふじいでら)の南西に約400m進んだところにある。全長245m、前方部幅182m、後円部の径148m、3段築成の前方後円墳で濠の幅が広いことが特徴の一つである。記紀によれば仲哀天皇になって大和から初めて河内へ陵墓が営まれたことになるが、築造は5世紀後半と思われる。また、発掘調査により中世に城郭として利用されたことが分かっている。
*津堂城山古墳:藤井寺駅の北方、大和川の近くに前方後円墳の巨躯を横たえる。古市古墳群として史跡に指定されている。全長210mで、もとは二重の濠と堤がめぐっていた。それを加えると南北400mになるが、名前の由来になっているように室町時代に城として利用されたため墳丘の本来の形とは変わっているところが多い。1912(明治45)年の発掘で竪穴式石槨に覆われた長持形石棺が見つかり、多くの副葬品が出土した。
*仲姫命陵古墳:近鉄土師ノ里駅の南西にある応神天皇の皇后仲姫命の陵墓とされている前方後円墳。周堤の一部が古市古墳群として史跡に指定されている。全長290m、外堤を含めると約400m、古市古墳群のなかでは一番高所に位置し、応神天皇陵古墳よりも古い時期に造られた。
*古室山古墳:仲姫命陵古墳の向かい側にある古墳。赤面山古墳・大鳥塚古墳などとともに、古市古墳群として史跡に指定されている。全長150mの前方後円墳で、墳丘まで登ることができる。墳丘長からの眺望がよく、周囲からも古墳がよく見えるように造られている。
*白鳥陵古墳:伝承によると日本武尊の白鳥陵とされている。日本武尊は伊勢能褒野(のぼの)で薨じたあと白鳥となって飛びたち大和・河内に降りたったので墓を造ったという。羽曳野の市名はこの伝説によっている。近鉄古市駅の南西にあり、近くの芦ヶ池から見ると葛城山・金剛山を背にした姿は趣深い。周堤の一部が古市古墳群として史跡に指定されている。全長200mの前方後円墳で、前方部が後円部に比してかなり大きいため、5世紀後半の築造と思われる。
*仲哀天皇陵古墳:葛井寺(ふじいでら)の南西に約400m進んだところにある。全長245m、前方部幅182m、後円部の径148m、3段築成の前方後円墳で濠の幅が広いことが特徴の一つである。記紀によれば仲哀天皇になって大和から初めて河内へ陵墓が営まれたことになるが、築造は5世紀後半と思われる。また、発掘調査により中世に城郭として利用されたことが分かっている。
*津堂城山古墳:藤井寺駅の北方、大和川の近くに前方後円墳の巨躯を横たえる。古市古墳群として史跡に指定されている。全長210mで、もとは二重の濠と堤がめぐっていた。それを加えると南北400mになるが、名前の由来になっているように室町時代に城として利用されたため墳丘の本来の形とは変わっているところが多い。1912(明治45)年の発掘で竪穴式石槨に覆われた長持形石棺が見つかり、多くの副葬品が出土した。
関連リンク | 大阪府府民文化部都市魅力創造局魅力づくり推進課(WEBサイト)世界遺産百舌鳥・古市古墳群 |
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参考文献 |
大阪府府民文化部都市魅力創造局魅力づくり推進課(WEBサイト)世界遺産百舌鳥・古市古墳群 「Discover 百舌鳥・古市古墳群」 |
2025年04月現在
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