斎宮跡
近鉄山田線「斎宮駅」から徒歩約5分。三重県多気郡明和町にある遺跡。斎宮とは、天皇に代わり伊勢神宮に奉仕するために派遣された皇族の女性斎王*が住む御殿と運営のために置かれた斎宮寮という役所があった場所。斎王は天皇の代替わり毎に交替し、飛鳥時代から南北朝時代まで660年間続いたとされる。斎宮跡は都と伊勢神宮を結ぶ古代伊勢道のルート上に位置し、伊勢神宮からは約15km離れている。
1970(昭和45)年の団地造成の計画をきっかけに事前発掘調査が行われ、一般の住居跡からは出土しない緑釉陶器(りょくゆうとうき)や蹄脚硯(ていきゃくけん)などの土器が数多く出土し、斎宮跡が明和町にあったことが裏づけられた。その後も引き続き史跡の範囲確認調査が行われ、東西約2km、南北約0.7kmの1.37km2におよぶ広大な面積を占めていることが明らかとなった。1979(昭和54)年には国の史跡として指定された。
1970(昭和45)年の団地造成の計画をきっかけに事前発掘調査が行われ、一般の住居跡からは出土しない緑釉陶器(りょくゆうとうき)や蹄脚硯(ていきゃくけん)などの土器が数多く出土し、斎宮跡が明和町にあったことが裏づけられた。その後も引き続き史跡の範囲確認調査が行われ、東西約2km、南北約0.7kmの1.37km2におよぶ広大な面積を占めていることが明らかとなった。1979(昭和54)年には国の史跡として指定された。
みどころ
史跡指定後45年を経たが、その間、1989(昭和64・平成元)年には斎宮歴史博物館、1999(平成11)年には、いつきのみや歴史体験館が開館。さらに2015(平成27)年4月には「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が日本遺産に認定された。そして、同年、「さいくう平安の杜」、2017 (平成29)年には、いつきのみや地域交流センターが完成した。斎宮歴史博物館の管理運営は三重県が、ほかの3施設の管理運営は、明和町、公益財団法人国史跡斎宮跡保存協会が行っている。
こうした広大な敷地面積を有する史跡の整備は時間がかかることから、着実かつ計画的な推進が求められる。斎宮跡においては、三重県が中心となって史跡整備計画が進められてきた。今後は斎宮歴史博物館を主体として更なる情報発信、海外を含めたPRなどが期待されるところである。
こうした広大な敷地面積を有する史跡の整備は時間がかかることから、着実かつ計画的な推進が求められる。斎宮跡においては、三重県が中心となって史跡整備計画が進められてきた。今後は斎宮歴史博物館を主体として更なる情報発信、海外を含めたPRなどが期待されるところである。
補足情報
*斎王:伊勢神宮に奉仕するために遣わされた未婚の皇女または王女。いつきのみこ。伝承の時代まで含めると、豊鍬入媛命から祥子内親王まで76代つづいたことになるが、史料上の制約もあり正確な人数は不明である。
2024年08月現在
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