吉見百穴よしみひゃくあな

東松山市との境界付近は凝灰岩質砂岩の丘陵で、白い岩肌にたくさんある横穴が、まるで蜂ノ巣のような奇観を呈する。江戸時代には十数個が開口し、不思議な存在であった。
 吉見百穴には横穴住居説をめぐる激しい論争の歴史がある。オーストリア公使シーボルトの視察以来有名になり、1887(明治 20)年には当時の東京帝国大学生坪井正五郎らにより発掘が始まった。219の石室が見つかり、坪井氏は原始時代の先住民族の住居であるとの説をたてた。その後考古学・人類学の研究が進むにしたがって古墳時代末期ごろの墳墓であることが明らかになった。
 各横穴は玄室・羨道・前庭部の3部分からなり、玄室は広さが3m2内外、8つの形式がとられ、棺座をもつものが多い。戦時中に地下工場が造られたために消滅した横穴もあるが、現在数219。その底部にはヒカリゴケが自生する。山地に多いヒカリゴケが関東平野で見られるのは、植物分布上珍しい。
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みどころ

日本の中でも珍しい景観を呈する。外から特異な景観を十分味わったら、いくつかの穴の内部と地下軍需工場跡、ヒカリゴケを見ることをおすすめする。(溝尾 良隆)
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補足情報

*2020(令和2)年6月現在、点検・調査のため、地下軍需工場跡内の立ち入りはできない。
*百穴のなかにひときわ大きな横穴が数か所開いている。これは第二次世界大戦末期に、中島飛行機株式会社の大宮製作所を疎開させるために作られた地下軍需工場跡である。軍の計画では、百穴周辺の地下に、1万坪(約3万3,000m2)、総延長8,400mの隧道を掘り、原材料から仕上げまでの一貫したラインをもつ工場の建設を予定していた。8割まで完成した段階で終戦となった。現在公開されているのは、そのうちの10分の1にすぎない。
*ここから北東約4kmのところに、総数500基を超えると推定されている黒岩横穴墓群がある。大半は未発掘である。
関連リンク 吉見町観光・見どころガイド(吉見町)(WEBサイト)
参考文献 吉見町観光・見どころガイド(吉見町)(WEBサイト)

2020年04月現在

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