別子銅山跡べっしどうざんあと

別子銅山は、新居浜市(旧別子山村)四国山地の山中に位置しており、足尾・小坂・日立とともに日本の代表的銅山であった。1691(元禄4)年の開坑に始まり、1973(昭和48)年3月の閉山に至るまで283年の歴史を有する。地中深く掘り進められた坑道の延長は約700km、深さは地下1,000mまで掘り続けられ、総産出量は約65万tにものぼり、新居浜市の発展の礎となった別子銅山の産業遺産が市内に数多く残っている。
 別子銅山発祥の地であり、江戸時代から明治にかけて別子銅山の中心地であった旧別子エリアの歓喜坑、大正から1930(昭和5)年まで採鉱本部が置かれた東平(とうなる)エリアでは東平貯鉱庫跡や東平歴史資料館などで当時の様子を知ることができる。別子鉱山鉄道下部線の発着駅として発展し、昭和から閉山まで採鉱本部が置かれた端出場(はでば)エリアでは、別子銅山のテーマパーク「マイントピア別子端出場ゾーン」として観光鉄道や観光坑道などが整備されている。新居浜駅の南東、大山積神社境内にある別子銅山記念館では別子銅山に関する資料を展示しており、坑内道具・絵図・古文書・模型などをみることができる。また、上原(うわばら)には別子銅山を通じて日本の近代化に貢献した広瀬宰平の居宅であった旧広瀬邸、その業績を顕彰する広瀬歴史記念館などがある。
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みどころ

新居浜市内には別子銅山ゆかりの産業遺産が多く残っており、記念館・資料館も豊富でその歴史を学ぶことができる。別子ラインの入口にある別子銅山記念館では貴重な歴史資料が数多く展示され、別子銅山について学ぶ入口として魅力を引き出してくれる。マイントピア別子端出場ゾーンでは当時の蒸気機関車を模した列車の乗車体験、観光坑道、砂金採りなどが楽しめる。
 マイントピア別子東平ゾーンへは狭い山道を進んでいくため、ガイド付きの観光バスの利用を勧めたい。開けた山間に点在する産業遺産の姿が”東洋のマチュピチュ”と称されており、赤石山系の大自然に囲まれて不思議な光景が広がっている。今なお残る産業遺産を活用して開発された敷地内には、歴史資料館やマイン工房などの施設もあり、銅板レリーフ作りなど銅の魅力に触れることができる。道中の別子ラインは県指定名勝、新日本百景にも選ばれている渓谷景勝地で、新緑、紅葉のころが特に美しい。
関連リンク 新居浜市(WEBサイト)
参考文献 新居浜市(WEBサイト)
にいはま紀行(一般社団法人新居浜市観光物産協会)(WEBサイト)
『工都新居浜観光鳥瞰図』パンフレット

2022年11月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。