大湯環状列石おおゆかんじょうれっせき

JR花輪線十和田南駅から北東へ約4.5km、大湯温泉*1からは西南3kmの台地上にある。県道をはさんで東に野中堂環状列石、西に万座環状列石の2つの環状列石を有する縄文時代後期(約4000年前)の大規模な遺跡である。遺跡近くにはガイダンス施設、大湯ストーンサークル館*2もある。野中堂環状列石は最大径44m、万座環状列石の最大径は52mあり、ともに数多くの棒状石材を2重環状に並べたものであり、その中心から北西側の外帯と内帯の間には日時計状組石が配置されている。それぞれの環状列石の中心の石と日時計状組石は一直線に並ぶ配置となっており、この直線は夏至の日没方向ともほぼ一致することから、この環状列石は何らかの意図をもって構築したものと思われている。
 環状列石に使われている石の6割は「石英閃緑玢(せきえいせんりょくひん)岩」*3とよばれるもので、数km離れた安久谷川と大湯川の合流点より下流の河床から採取され運び込まれたと考えられている。また、それぞれの環状列石を取り囲むように、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置され、周辺からは大量の縄文土器の他、土偶や土版、動物形土製品、鐸形土製品、石棒、石刀などの祭祀・儀礼の道具が数多く出土している。
 この遺跡は大湯川と豊真木沢川の浸食によって形成された標高約180mの台地上に所在する集団墓あるいは祭祀施設だったと考えられている。
 遺跡を見学できる期間は降雪状況などで変更される場合もあるが、おおむね4月中旬~11月中旬で、冬期は閉鎖している。
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みどころ

緑に囲まれた広々とした台地の上に、幾何学的ともいえる配置で、しかも環状に岩石が並べられている光景は、神秘性やロマンに溢れる。日時計式組石と環状列石の中心を結ぶ延長線上と、夏至の日没がほぼ一致すると聞けば、より一層人類の自然への畏敬の深さを感じとることができる。
 また、遺跡周辺には解説板などをなるべく設けないように整備され、2つの環状列石は実際の石組をそのまま展示したり、新たに発見された石列や環状配石遺構などは、保護盛土で覆った上に大きさや石の配置を復元したりして、環状列石が造られた縄文時代の景観を極力復元しようとする努力がなされている。
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補足情報

*1 大湯温泉:大湯川沿いに共同浴場(「下ノ湯」「上ノ湯」「荒瀬ノ湯」「川原ノ湯」)4ヵ所、数軒の温泉旅館がある。開湯は「日本鉱泉誌」によると「下ノ湯」が文明年間(1469~1487年)の発見とされ、浴場が設けられたのは延宝年間(1673~1681年)と伝えられる。「上ノ湯」も同じ頃の発見で、源泉に入浴するようになったのは万治年間(1658~1661年)という。泉質はナトリウム-塩化物泉などで源泉温度は60~74℃。
*2 大湯ストーンサークル館:展示ホールでは、遺跡についての解説パネルほか、発掘調査で発見された遺物が展示されている。ギャラリー、図書閲覧コーナー、休憩スペースなどがある。遺跡見学無料、展示ホールは有料。無料の定時ガイドツアーも実施している。年間を通じて開館しているが、冬期は月曜日、年末年始などには休館となるので事前の確認が必要だ(屋外遺跡は冬期閉鎖)。
*3 「石英閃緑玢(せきえいせんりょくひん)岩」:マグマが地下深部で固結した火成岩。石英や正長石を主体とし、黒っぽい角閃石や黒雲母が混じり、大湯環状列石に使用されている石は緑がかっているものが多い。十和田湖周辺の火山活動によって運ばれてきたもの思われている。