佐渡金銀山さどきんぎんざん

国史跡の佐渡金銀山遺跡は、「佐渡島(さど)の金山」の名称で、2022(令和4)年2月に世界遺産候補としてユネスコに推薦された。
 佐渡島の金生産の最古の記録は、平安時代後期(12世紀)に編纂された『今昔物語集』で、佐渡島で金を採取したという説話が収録されている。15世紀半ばには佐渡へ流された世阿弥が『金島書』の中で、佐渡島を「こがねのしま」と記しており、砂金採取が継続していたと考えられる。その後、全国各地の戦国大名が領内の鉱山開発を進め、佐渡島でも鶴子銀山など、大小多数の鉱山が採掘された。
 相川金銀山は、1596(慶長元)年、鶴子銀山の3名の山師が相川の山中で、「道遊の割戸*」などの金銀の大露頭を発見したのに端を発する。徳川家康は佐渡一国を直轄地とし、大久保長安*を奉行に任命し金銀山の経営を一任した。以降、次々に新しい鉱脈が開発され、相川の町はゴールド・ラッシュに沸き、全国各地から鉱山技術者や労働者が来島し、5~6軒足らずの寒村が一躍人口4~5万人の鉱山都市となった。
 相川には、江戸時代に行政や鉱山経営を担った佐渡奉行所跡*や、鉱山労働者が暮らした遺跡、当時の風情を残す町並みなど、鉱山都市の面影が今も色濃く残っているだけでなく、人々が江戸時代から受け継いできた祭礼、伝統芸能などが根付いている。当時の鉱山の様子や人々の暮らしは、数多くの絵図や絵巻に描かれ、現代に伝えられている。
 なお、「佐渡島の金山」の対象時期は戦国時代末から江戸時代までだが、相川金銀山は明治時代以降も機械化されて採掘が続けられ、当時の遺構が今も数多く残っている。
 明治維新後、相川金銀山は「佐渡鉱山」に改称し、明治政府の重要鉱山の一つとして官営鉱山となった。その後、皇室財産への編入を経て三菱に払い下げられ、年間約1万トンの鉱石を産出した。1970(昭和45)年には、坑道の一部を観光坑道として整備し、公開している。その後も新鉱脈の発見がないまま操業を続けたが、鉱脈の品質低下と鉱量の枯渇により、1989(平成元)年、ついに休山となった。
 佐渡金銀山遺跡では、17世紀からの400年間に金78トン、銀2,330トンを産出し、日本最大の金銀山として国内外の経済に影響を与えるなど、世界史上に大きな足跡を残した。
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みどころ

「佐渡金銀山ガイダンス施設 きらりうむ佐渡*」(2019(平成31)年4月開館)では、江戸時代から近代にかけて佐渡島内の西三川砂金山、鶴子銀山、相川金銀山で行われた金生産の様子を、4つのシアターでわかりやすく紹介している。また、館内には観光案内所が併設され、遺跡めぐりやまち歩きのガイドツアー、レンタサイクルなどを提供している。
 相川では、山と海に挟まれた狭隘な地形を舞台に、江戸時代から近代まで継続して金生産が行われた結果、今でもその遺構や施設などが数多く残り、長期にわたる金生産の変遷を現地で体感することができる。これらの多くは、国の史跡や重要文化財となっている。
 宗太夫坑をはじめ、坑道や鉱山施設の一部が公開されている。宗太夫坑では、電気仕掛けの人形を使って鉱石採掘や水替作業の様子を再現しており、来訪者は油煙ですすけた壁や天井の狭い坑道を進みながら、江戸時代の坑道内の様子を体感することができる。
 相川市街地一帯は、長期にわたる鉱山の歴史とともに、鉱山労働者が暮らす鉱山町や寺町、物資供給や廻船業を営む商人町が継続して営まれ、重層的な景観を形成していることから、2015(平成27)年に国の重要文化的景観「佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観」に選定された。市街地を散策すると、かつての鉱山町・寺町・商人町の面影を残す歴史的建造物や町並みが迎えてくれる。(溝尾 良隆)
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補足情報

*道遊の割戸:緑の山を真ん中から断ち割ったような奇景をさらす道遊ノ割戸は、1601(慶長6)年、鶴子銀山の山師渡辺儀兵衛が発見した巨大な露頭鉱脈の跡で、佐渡金山の隆盛の基を造った鉱山である。
*大久保長安:江戸初期の国奉行・金山奉行。佐渡に能楽をもたらしたのは、甲州武田家の猿楽(現在の能)師の次男として生まれたのと関連する。徳川家康に仕え、諸国の金銀山開発にあたる。
*佐渡奉行所跡:佐渡が幕府の直轄地になったため佐渡に奉行所が置かれた。奉行所は何度か焼失したが、現在復元された奉行所は1859(安政6)年頃のものを基にした。
*きらりうむ佐渡:佐渡金銀山のガイダンス施設。映像、模型等で、佐渡金銀山の魅力をわかりやすく紹介。
*宗太夫間歩:国の指定史跡。
*北沢浮遊選鉱場跡:日本で最初に金銀鉱石の浮遊選鉱法を採用し、1936(昭和11)年に工場建設に着手、その後大増産計画に伴う設計変更を経て完成。鉱石処理鉱量は1か月5万t以上に達し、その設備規模は東洋一とうたわれた。
*北沢50mシックナー:大増産計画で不足する工場用水を確保するために、水と不純物等を分離するための装置で、直径50mで国内最大規模だった。
*大間港:1892(明治25)年に完成した鉱山専用の港。金銀などの鉱物の搬出や石炭などの生産に必要な物資の搬入用として整備され、コンクリート普及以前に利用されていた、たたき工法の護岸やクレーン台座、トラス橋が現存している。
*大立竪坑:1877(明治10)年ドイツ人技術者の指導で開削された貴金属鉱山では日本最初の西洋式竪坑。1989(昭和64・平成元)年まで使用された鉄骨やぐら、巻揚機、圧縮空気をつくるコンプレッサーなどが現存。
*高任神社:鉱山局事務長で、佐渡鉱山の近代化、高山施設の拡張に貢献した大島高任を祀る。