加曽利貝塚
加曽利貝塚は、直径140mの環状である縄文時代中・後期の北貝塚と、直径190mで馬蹄形をした縄文時代後・晩期の南貝塚が8字形に連結した、日本最大級の貝塚である。貝塚やその周辺からは多数の住居跡が発見されており、この地域の中核的な「ムラ」の跡が拡がっている。2017(平成29)年に、縄文時代の遺跡としてはわが国で4箇所目となる国指定特別史跡となり、この他に市内にある4箇所の貝塚(月ノ木貝塚、荒屋敷貝塚、犢橋貝塚、花輪貝塚)は国の史跡に指定されている。
貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、縄文人の埋葬施設等があることから特別な場であったともいわれる。明治からたびたび発掘調査がなされ、発見された土器のうち、縄文時代中期後半のものが「加曽利E式」、後期前半のものが「堀之内式」、後期後半のものが「加曽利B式」と呼ばれる。「加曽利E式」及び「加曽利B式」は、時期区分ごとの基準に位置づけられる「標準遺跡(標式遺跡)」となっている。
住居跡や土器のほかにも、石器・骨角器・土製品・貝製品などの豊富な遺物や人骨も発見されている。
現在、北貝塚では、住居跡を見ることができる「住居跡群観覧施設」及び貝塚の断面を見ることができる「北貝塚貝層断面観覧施設」が、また南貝塚では、貝塚の断面を見ることができる「南貝塚貝層断面観覧施設」及び住居を復元した復元集落が、さらに貝塚の東側には博物館及び旧大須賀家住宅がそれぞれ整備されており、いずれも自由に見学することができる。また、博物館には「加曽利貝塚ガイドの会」があり、ガイドしてもらうことも可能である。
貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、縄文人の埋葬施設等があることから特別な場であったともいわれる。明治からたびたび発掘調査がなされ、発見された土器のうち、縄文時代中期後半のものが「加曽利E式」、後期前半のものが「堀之内式」、後期後半のものが「加曽利B式」と呼ばれる。「加曽利E式」及び「加曽利B式」は、時期区分ごとの基準に位置づけられる「標準遺跡(標式遺跡)」となっている。
住居跡や土器のほかにも、石器・骨角器・土製品・貝製品などの豊富な遺物や人骨も発見されている。
現在、北貝塚では、住居跡を見ることができる「住居跡群観覧施設」及び貝塚の断面を見ることができる「北貝塚貝層断面観覧施設」が、また南貝塚では、貝塚の断面を見ることができる「南貝塚貝層断面観覧施設」及び住居を復元した復元集落が、さらに貝塚の東側には博物館及び旧大須賀家住宅がそれぞれ整備されており、いずれも自由に見学することができる。また、博物館には「加曽利貝塚ガイドの会」があり、ガイドしてもらうことも可能である。
みどころ
加曽利貝塚は豊かな自然を有しており、一見するだけではここが貝塚であることを認識できない。しかし敷地内を歩き、貝層の断面を観察できる施設や住居跡、復元された集落、そして今も断続的に行われている発掘現場などを見ると、ここにはるか昔の時代に人が暮らしていたということを実感できる。そのように感じられるのは、1962(昭和37)年の発掘調査時より、実物を現地で見てもらいたいという発想のもと、現地保存型の野外博物館(フィールドミュージアム)を導入したことによる。
土器・石器などの展示物だけでなく、加曽利貝塚が有する里山景観や発掘地点の土の香りから、縄文時代当時の人々の暮らしぶりが感じられる。(牧野 博明)
土器・石器などの展示物だけでなく、加曽利貝塚が有する里山景観や発掘地点の土の香りから、縄文時代当時の人々の暮らしぶりが感じられる。(牧野 博明)
関連リンク | 加曽利貝塚博物館(WEBサイト) |
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参考文献 |
加曽利貝塚博物館(WEBサイト) パンフレット「加曽利貝塚」(千葉市教育委員会) |
2020年04月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。