和銅採掘遺跡わどうさいくついせき

「続日本書紀」によると、708(慶雲5)年に「武蔵国秩父郡、和銅を献る」とあり、自然銅(にぎあかがね)を朝廷に献上したとある。貨幣を鋳造した朝廷では宣命を発し、年号を和銅と改めた。和同開珎は長い間わが国最初の貨幣とされていたが、1999(平成11)年の富本銭(ふほんせん)の出土によりその座を譲ることになった。
 しかし、富本銭は藤原京とその周辺に流通したにすぎず、和同開珎は出土遺跡が北海道から九州まで784か所に及んだように、本格的に大量に発行されて全国に流通した貨幣である。考古学会その他では、富本銭が最古の貨幣であるという見解もあるが、ごく限定した地域の使用であり、和同開珎こそ、わが国の本格的な最古の貨幣であるという認識である。
 採掘跡には、長さ130m、深さ3mほどの溝状の2条の露天掘り跡が発見されている。
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みどころ

教科書で有名な銅の採掘現場を、実際に見ることができる。
 和銅献上から1300年を迎えた2008(平成20)年に盛大な式典が行われ、秩父鉄道の駅名に、和銅が加わり、和銅黒谷駅となった。
 祝山の山肌に「和銅」の文字が刻まれており、和銅を採った露天掘り跡には、高さ約5mの大きい和同開珎のモニュメントがある。(溝尾 良隆)
関連リンク 秩父市(WEBサイト)
参考文献 秩父市(WEBサイト)
朝日新聞「みちものがたり「和同開珎のみち」」(2019年2月2日)

2020年04月現在

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