下野薬師寺跡しもつけやくしじあと

下野薬師寺跡は、今から1300年前頃、飛鳥時代に建てられた寺の跡である。
 下野薬師寺は、当時の中央政界で活躍した下野国出身の下毛野古麻呂をはじめとする下毛野氏の寺として創建されたと言われている。
 奈良時代に国立の寺院に昇格し、761(天平宝字5)年には僧の養成所である戒壇が設置され、奈良の東大寺、九州の筑紫観世音寺とともに日本三戒壇のひとつとして数えられ、東日本の仏教の中心地として繁栄した。
 平安時代末期になると日本における仏教のあり方が変わり、次第に衰退していく。鎌倉時代に慈猛という僧が真言密教の戒壇として下野薬師寺を復興し、室町時代には安国寺と名前を変えて存続したが、1570(元亀元)年に戦によって寺院の主な建物は焼失したと伝えられている。
 その後、寺院が再建され、江戸時代後期に秋田藩の家臣であった渋江内膳によって現在も史跡地に所在する六角堂が建てられた。
 1921(大正10)年に、下野国分寺や足利学校と共に、栃木県で最初の国の史跡として指定され、現在は史跡公園として整備、公開されている。
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みどころ

下野薬師寺跡は、1966(昭和41)年から発掘調査が行われており、これまでの調査成果から、都の寺院に匹敵する、東日本最大の寺だったことが分かっている。現在は史跡公園として整備され、寺の中心部分の回廊の一部が復元されている。
 スマートフォンアプリ「VR東の飛鳥-甦る下野薬師寺-」をダウンロードすることで、復元CGによる下野薬師寺の当時の姿を、現地で見ることができる。(溝尾 良隆)
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補足情報

*下野薬師寺跡に隣接する下野薬師寺歴史館では、発掘調査で出土した瓦や関係する文献、解説映像によって下野薬師寺跡の歴史を分かりやすく紹介している。