永福寺跡ようふくじあと

鎌倉宮から瑞泉寺に向かう途中にある。永福寺は、源頼朝が、源義経など奥州攻めで亡くなった数万の将兵の鎮魂のため、平泉の毛越寺・中尊寺に範をとり、1192(建久3)年に造営したもの。歴代の将軍たちによる蹴鞠や花見なども行われた。
 二重屋根の本堂は二階堂と呼ばれ、今の地名の起こりとなった。阿弥陀堂・薬師堂ほかの堂塔に池をめぐらせた平等院式の大寺院だったと伝えるが、1405(応永12)年の火災後廃絶した。
 1983(昭和58)~1996(平成8)年にかけて、中心域15,800m2の発掘調査が市によって行われ、中心の二階堂、阿弥陀堂、薬師堂のほか、複廊、翼廊、釣殿、橋、庭園の規模や配置が明らかになる。市はさらに2007(平成19)年から調査成果を基に建物の基壇と大きな池を含めた庭園の復元など整備を実施し、2017(平成29)年6月から一般公開している。
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みどころ

源頼朝が建立した鶴岡八幡宮、勝長寿院と並ぶ三大寺院のひとつで、鎌倉幕府にとって非常に重要な場所であった。発掘調査の成果により、全国有数の規模を持つ鎌倉時代を代表する寺院であることが分かってきた。復元された基壇や礎石を頼りに想像力を働かせれば、鎌倉幕府の力の大きさを感じられる。
 まだあまり知られていないせいか、訪れる人が少ないが、瑞泉寺や鎌倉宮からも近いので、あわせて訪れたい。(溝尾 良隆)
関連リンク 鎌倉市(WEBサイト)
参考文献 鎌倉市(WEBサイト)
パンフレット「国指定史跡 永福寺跡」

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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