高山陣屋たかやまじんや

高山駅から700m程にある。江戸時代1692(元禄5)年に飛騨が幕府直轄領となり、その出先機関として高山城主だった金森氏の下屋敷を陣屋としたもの。明治維新まで25代の代官・郡代が江戸から派遣され、飛騨の行政・財政・警察などの政務を行った。御役所・郡代役宅・御蔵等を併せて「高山陣屋」と称する。
 陣屋設置以来、江戸時代1725(享保10)年、1816(文化13)年と数度改築がなされた。幸いにも火災を受けなかった。明治時代以降も地方官庁として使われ、1969(昭和44)年まで県事務所として利用された。県事務所が移転したのを機に、1996(平成8)年まで三次にわたり復元修理と復旧事業を行ない、江戸時代の高山陣屋の姿がほぼ甦った。
 玄関之間の大床には、吉祥文様の青海波(せいがいは)が描かれている。内部には、御役所、御用場、書院造りで49畳敷の広間、代官と家族が暮らした役宅(やくたく)、取り調べを行ったり判決を言い渡した吟味所・御白州(おしらす)などがある。
 敷地内には、旧高山城三ノ丸から移築した御蔵(おんくら)があり、かつては近隣の村々から納められた年貢米を収納する米蔵であった。現在は、資料館として幕府直轄領時代の飛騨の概要や大原騒動*などの歴史を物語る資料が展示されている。
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みどころ

明治維新前には全国に60以上あった陣屋のうち、主要建物が残っているのは高山陣屋のみである。
 陣屋内の部屋の長押(なげし)には、打ちつけた釘の頭を隠す「真向兎(まむきうさぎ)」の装飾がある。うさぎは子どもをたくさん産むことから、縁起のよいデザインとも、火除け、魔除けとも言われている。広間は、陣屋内で最大の広さを誇り、縁側から季節ごとに変わる庭の景色を一望できる。役宅内にある御居間は、別名「嵐山の間」と言われ、奥には茶室も併設されている。
 御蔵は、現存する江戸時代の米蔵[土蔵]として全国でも最古・最大級を誇り、板葺き屋根は、釘を使わずに板を木の棒と石で押さえる「石置長榑葺(いしおきながくれぶき)」という葺き方がされている。
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補足情報

*大原騒動:代官(後に郡代)大原彦四郎、亀五郎父子の時代に起きた百姓一揆。1771(明和8)年から18年間にわたって起こり、多くの犠牲者を出した。