ひめゆりの塔ひめゆりのとう

沖縄戦さなかの1945(昭和20)年3月末、沖縄県立第一高等女学校および沖縄師範学校女子部の生徒222名と、引率教職員18名が看護要員として動員された。ひめゆり学徒隊は、この看護隊の通称である。米軍上陸後も最後まで軍と行動を共にし、多くの犠牲者を出すこととなった。
 ひめゆりの塔は、もっとも多くの犠牲者を出したといわれる第三外科壕跡に1946(昭和21)年に建立された慰霊碑である。沖縄戦では、ひめゆり学徒隊だけでなく、他の学校からも生徒、教職員が動員され看護要員として従軍、多数の犠牲者を出した。ひめゆりの塔周辺には慰霊塔や壕跡が多くある。
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みどころ

ひめゆりの塔に隣接して、1989(平成元)年に開館したひめゆり平和祈念資料館*には、亡くなった227名の遺影、遺品、生存者の証言映像、手記が展示されている。この資料館を見学することで平和学習をより一層深めることができるので、ぜひ時間をとって見学したい。
 ひめゆり平和祈念資料館での元ひめゆり学徒(証言員)による体験講話は、高齢化によって現在は行われていない。
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補足情報

*ひめゆり平和祈念資料館(TEL:098-997-2100)
関連リンク 糸満市(WEBサイト)
参考文献 糸満市(WEBサイト)
おきなわ物語(一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー)(WEBサイト)
『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社、1983年

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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