岩橋千塚古墳群いわせせんづかこふんぐん

和歌山市の中央から東へ約5km。岩橋山塊の前山地区を中心に、山塊全体に分布する古墳群である。古墳の総数は900基を超え、1952(昭和27)年に国の特別史跡に指定されている。史跡指定地内には500基ほどの古墳が所在する。4世紀末から7世紀にかけて造られた群集墳として全国有数の規模を誇る。古墳の築造時期は古墳時代中期から後期で、その中でも6世紀後半が中心となっている。現在確認されている古墳は前方後円墳27基、方墳4基、その他が円墳である。
 この古墳群は、文献の記録から豪族「紀氏」*の墓域ではないかと考えられており、彼らが本拠とした紀ノ川下流域は、その河口部「紀伊水門」が渡来文化流入の窓口としての役割を果たし、大和盆地へ通ずるルートの一つとして政治上も重要な役割を果たしていたと考えられている。
 古墳群のすぐそばに和歌山県立紀伊風土記の丘があり、出土品を中心に考古資料・民俗資料が展示されている。
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みどころ

総面積67万m2の広大な史跡指定地内には約500基の古墳がある。石室などの古墳内部が見学できる公開古墳もあり、貴重である。古墳のほかにも万葉集に詠まれた植物を栽培する万葉植物園や国・県指定文化財の移築民家、復元された竪穴住居もあり、古代から江戸時代の暮らしぶりを体験することができる。
 また、県立の博物館・紀伊風土記の丘にもぜひ立ち寄りたい。岩橋千塚古墳群のみならず、古代からの和歌山の歴史を県下の出土品とともに振り返ることができる。古墳が点在する園内は1周約3kmのウォーキングコースとしても利用されている。かなりアップダウンがあるため、歩きやすい恰好で出かけたい。
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補足情報

*紀氏:古代の豪族「紀氏」は『古事記』『日本書紀』に登場し、歴史上大きな役割を果たしたといわれている。紀氏一族は代々、日前宮(日前・国懸神社)の神主を世襲するとともに、紀ノ川下流南岸の平野に広い水田を開発し、のちに、宮井用水と呼ばれる水路をめぐらせて生活基盤を安定させ、人口を増加させていったという。岩橋千塚古墳群はその紀氏の墓ではないかと考えられており、紀州の勃興とも関わりのある史跡である。
関連リンク 和歌山県立紀伊風土記の丘(WEBサイト)
参考文献 和歌山県立紀伊風土記の丘(WEBサイト)
和歌山市の文化財(WEBサイト)
わかやま歴史物語100(和歌山県観光振興課)(WEBサイト)
歴史散歩㉚和歌山県の歴史散歩(山川出版社)

2025年02月現在

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