特別史跡 登呂遺跡とくべつしせき とろいせき

JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から南に約3kmにある。登呂遺跡公園として整備され、静岡市立登呂博物館*1が隣接している。
1943(昭和18)年、プロペラ工場の建設のために水田が掘り起こされた際、地下1mあたりから広範囲にわたって約1900~2000年前の弥生時代の遺跡が発見された。第2次世界大戦後、1947(昭和22)年から4年間をかけて発掘調査を行った結果、住居や倉庫といっしょに水田跡が発見され、米づくりを主とした弥生時代の生活の様子がはじめて明らかになり、登呂の名は全国に広まった。
 静岡平野は、安倍川と藁科川がつくった扇状地で、弥生時代中期から後期、自然堤防など少し高いところに集落が存在し、登呂遺跡もそのひとつである。遺跡は居住域・水田域・森林域に分けられ、面積は合わせて約10万m2に及んでいる。
 遺跡の集落は川の氾濫に遭い消滅し、運ばれてきた土砂によって埋没したと推定されている。住居跡は弥生時代後期には、集落全体で20軒ほどあったと考えられている。住居は平地式で1家族の数は5~7人程度であったと考えられ、高床式の倉庫跡も発見された。我が国で初めて確認された水田跡は、広域に及ぶ。
 1999(平成11)~2003(平成15)年に再発掘調査が行われ、洪水による被害を受けながらも、集落を復興していること、祭殿跡、住居区域と水田区域の境に水路があったことなどが明らかになった。
 また、クワ・スキ・田下駄などの農具類や各種什器類などの木製器具が数多く出土したほか、弥生土器をはじめ、釣針などの漁具、衣服の残片、勾玉や青銅の腕輪などの装飾品、コメ・豆類・栗などの穀物や果物、イノシシ・鹿・魚の骨など、多様な出土品があった。
 2010(平成22)年には遺跡公園と登呂博物館の再整備と建て替えが行われ、史跡内には1回目の洪水前の最盛期における集落の様子を再現するため、住居4棟・倉庫2棟、祭殿1棟と水田が復元されている。                                 
 同じ遺跡公園内には染色家で人間国宝の芹沢銈介の美術館も併設されている。
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みどころ

この遺跡は日本の考古学研究の原点のひとつといわれ、竪穴式住居を復元する試みは長野県平出遺跡とともに1951(昭和26)年に行われたのが最初だとされる。復元集落、復元水田、出土品などの展示を通じ、弥生時代の日本の姿や営みをうかがい知ることができる貴重な遺跡である。
 2010(平成22)年の遺跡公園の再整備、博物館の建て替えにより、最新の考古学研究の成果も取り入れられ、より一層、日本の古代や考古学研究の現状を理解しやすくなっている。
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補足情報

*1 登呂博物館:登呂遺跡と一体化した遺跡博物館。2016(平成28)年に国指定重要文化財となった出土品775点のうちの約200点をはじめ全400点ほどの資料を展示。登呂の集落の生活情景を再現したジオラマも公開されている。また、稲作農耕文化に関する調査・研究の拠点にもなっている。