大宰府政庁跡だざいふせいちょうあと

大宰府は律令制下において九州を治め、外交と防衛を担った地方役所。大陸に近いという立地の重要性から対外交渉を担うなど朝廷から大きな権限を与えられた時期もあった。7世紀後半に太宰府市内にその中枢がおかれ、その遺跡が残っている。
 現在、大宰府政庁跡は3基の石碑の立つ辺りが正殿跡、ほかに中門・南大門・東殿・西殿などの礎石が地表に整備され、歴史公園となっている。発掘調査によって7世紀後半の掘立柱建物群や奈良時代の礎石建物群が認められているが、941(天慶4)年の藤原純友の乱ですべて炎上してしまい、今残る礎石は再建後のものといわれる。隣に大宰府展示館があり、模型や資料などで大宰府政庁関連の遺構がわかりやすく展示されている。
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みどころ

ここは地元では都府楼跡の名で親しまれている。その正面の正殿は基壇と礎石がそのまま残り、ほかの施設も復元され、整備されている。四王寺の山上には、日本最古の山城の一つ大野城跡があり、山を借景にした風景は、人工的なものがなく山と一体となっているのが良く、古代を想像し、思いを巡らせることができる。華やかであった都府楼の建物や様子を復元したVRアプリが用意されており、現地でかざしながら見ると、より身近に古代を疑似体験できて楽しい。
 整備された芝生では、親子連れがボール遊びをしたり、ウエディング写真を撮るカップル、車椅子でゆっくりと散歩するシニアなど、思い思いに過ごす市民の姿が見られる。かつて九州全体を治めていた地方最大の役所跡が、史跡として市民の憩いの場所となっているギャップが、しみじみ嬉しく感じられる。
 太宰府天満宮から観世音寺、大宰府政庁跡を経て筑前国分寺跡方面*、水城跡へ抜ける全長4.4kmの歴史の散歩道が整備されている。のどかな里道で、案内板も配置されているので歩きやすい。時間があれば、ハイキングやサイクリングでの史跡巡りもおすすめ。
 なお、大宰府政庁のCG復元や復元模型は、九州国立博物館でも見ることができる。
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補足情報

*ダザイフの表記は、地名や天満宮では「太」、大宰府政庁跡では「大」の字で使い分けられている。(資料:http://www.city.dazaifu.lg.jp/bunkazai/question/rekishibunkazaiq/6221.html
*国分寺:741(天平13)年に聖武天皇の詔によって全国に建立された僧寺で、正式名称は「金光明四天王護国之寺」。
関連リンク 太宰府観光協会(WEBサイト)
参考文献 太宰府観光協会(WEBサイト)
太宰府市日本遺産活性化協議会(WEBサイト)
パンフレット「太宰府政庁跡」
現地取得の案内
大宰府市(WEBサイト)

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。