滋賀県は、近畿地方の北東部を占める県。北は福井県、東は岐阜県、南は三重県、西は京都府と境を接し、本州、四国、九州のほぼ真ん中に位置している。県庁所在地は大津市。
 JR東海道本線、東海道・山陽新幹線、北陸線、湖西線、草津線の他、私鉄の近江鉄道各線、信楽高原鉄道、京阪電気鉄道、比叡山鉄道が走る。道路では、名神高速道路、北陸自動車道、新名神高速道路を始め、京滋バイパス、伊吹山、奥比叡、奥琵琶湖、鈴鹿などの有料道路がある。この他、湖西道路、国道1、8、21、161、303、306、307、365、367、421、422、477号線が通る。日本でも重要な交通ルートが県内を走る。この他、琵琶湖では観光遊覧船や渡し船が航行している。
 周囲を伊吹、鈴鹿、比良、比叡などの山々に囲まれた内陸県。若狭、伊勢両湾の湾入により作られた地狭部にあたり、大阪湾から若狭湾に至る低地帯の一部である。中央部には県の面積の約6分の1を占める日本で一番大きな湖「琵琶湖」があり、その周囲に湖南平野、湖東平野、湖北平野、湖西平野が広がる。周囲の山々から琵琶湖に流れこむ川の数は、大きな川だけでも120以上もあり、琵琶湖に流入した水は、瀬田川、宇治川、淀川となって大阪湾にそそぎ、一方では疏水となって京都盆地に流れている。琵琶湖は、1993(平成5)年ラムサール条約登録湿地となった。自然公園には、琵琶湖、鈴鹿の2国定公園と、三上・田上・信楽、朽木・葛川、湖東の3県立自然公園がある。
 日本のほぼ中央に位置する交通要衝であった滋賀県(近江国)は、縄文時代以来つねに東日本と西日本との接点として重要視され、壬申の乱をはじめとして数多く天下分け目の戦いの戦場となってきた場所で、多くの城下町、宿場町、港町などの歴史的都市を生み出している。近江国は早くから開けた地で、古代政治史の中心でもあった。琵琶湖の水運も盛んに利用され、北陸諸国の物資などは、越前(福井)の敦賀から塩津を経て琵琶湖上を大津まで運ばれ、のち京へもたらされた。また比叡山延暦寺の門前町も大津の坂本に発達するなど、京や奈良の有力な社寺の荘園も多数置かれていた。鎌倉時代には湖北では浅井氏が台頭して政治的状況も大きく変化したが、織田信長が浅井氏や佐々木六角氏を滅ぼし、安土城を築城。翌年に楽市・楽座を開いたことから、その後の城下町に大きな影響を与え、本能寺の変後は豊臣秀吉が支配し、長浜、近江八幡、大津などの城下町が栄えた。江戸時代に入り、関ヶ原の戦いで功績のあった井伊直政がのちに彦根城下町を建設。また、徳川家康が大津城を膳所に移して城下町を建設したのに加え、東海道、中山道の整備も進められて多くの宿場町が栄えたのとともに、琵琶湖水運の港町としても大いに繁栄した。さらに、近江八幡や日野、五個荘などの商人が全国的に活躍し、近江商人として多くの利益をあげた。1881(明治14)年に現在の滋賀県が固定し、東海道本線を中心とする交通網の整備が進み、繊維などの近代的工業の立地、琵琶湖内湖の干拓事業や農業用水の整備がおこなわれた。
 かつては典型的な農業県だったが、1964(昭和39)年の名神高速道路の開通を契機として、急速な工業化進んだ。現在も農業はおこなわれているが専業農家は少なく、第2種兼業農家が多い。農業では、米作の他、野菜栽培や花卉栽培、肉牛肥育、乳牛飼育や養鶏、湖南の丘陵地帯では銘茶の栽培が有名で、若干の果樹栽培もみられる。水産業では、琵琶湖の沖島、堅田、尾上などに漁業集落があり、エビ、コアユ、フナ、シジミ、イサザ、ホンモロコ、コイなどの漁獲が多い。また、安曇川と姉川の河口にアユ産卵用の人工河川が1981(昭和56)年につくられている。また、えり、追い叉手、簗、四手網など古くからの漁法が残る。工業では、古くから浜縮緬(長浜市)、紡績(彦根市)、麻織物(愛荘町)、蚊帳(長浜市・東近江市)、綿クレープ(高島市)などの繊維関係工業が盛ん。このほか信楽焼(甲賀市)、扇骨(高島市)、薬(甲賀市・日野町)、仏壇(彦根市)などの特色ある地場産業も発達し、これらは現在もなお継承されている。特に繊維関係工業が多く立地していたことがその後の工業に大きく影響しており、大正~昭和初期にかけて、琵琶湖の水を求め、近代的繊維工場の建設(大津の旭人絹・東洋レーヨン・昭和レーヨン、彦根の近江絹糸・鐘淵紡績、能登川の日清紡績など)が進んだ。他にも、電気機械、一般機械、輸送用機械、鉄鋼、金属、化学など非用水型の内陸型工業や、湖南、草津、水口、日野等の五十数か所に及ぶ工業団地が操業している。
 県内には文化財が多く、国指定の重要文化財は2018(平成30)年現在で819件(うち国宝は55件)という全国でも屈指の県(東京・京都・奈良に次いで第4位)で、延暦寺、園城寺、石山寺、日吉(ひえ)大社などがある大津市に集中している。また国指定の史跡の数も多く、特別史跡の安土城跡と彦根城跡をはじめとして40以上の史跡がある。このような古い歴史と豊富な文化財、そして恵まれた自然環境にはぐくまれて、バラエティーに富む民俗文化や民俗芸能が伝えられてきた。長浜曳山祭の曳山行事は国指定重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。油日神社の太鼓踊(甲賀市)、朝日豊年太鼓踊(米原市)は国の選択無形民俗文化財に指定されている。ほかにも県内各地の神社で伝統行事がおこなわれている。また、多くの民俗的行事が継承され、とくに湖北地方で冬に行われる春をよぶ「おこない」行事、各地に残る「宮座」などがある。また、恵まれた自然と歴史を背景に多くの観光資源があり、室町時代以降、「石山の秋月、瀬田の夕照、矢橋の帰帆、堅田の落雁、粟津の晴嵐、三井の晩鐘、唐崎の夜雨、比良の暮雪」の近江八景があり、1949(昭和24)年には琵琶湖八景が「夕陽…瀬田石山の清流、煙雨…比叡の樹林、涼風…雄松崎の白汀、暁霧…海津大崎の岩礁、新雪…賤ヶ岳の大観、月明…彦根の古城、春色…安土八幡の水郷、深緑…竹生島の沈影」に制定された。現在、琵琶湖をめぐる観光資源は、(1)歴史を物語る社寺と街並みと新しいレジャー施設の「文化となぎさの楽園」(石山寺、琵琶湖大橋、浮御堂、比叡山延暦寺など)、(2)新鮮な空気と緑の丘陵「若人の丘」(希望ヶ丘、金勝アルプス、狛坂磨崖仏、東海自然歩道など)、(3)友人や家族と過ごす湖畔「団らんの水辺」(休暇村近江八幡、水郷、蒲生野、安土城跡など)、(4)さわやかな木漏れ日と清らかな谷「深山と渓谷」(永源寺・鈴鹿ハイキングコース、石塔寺など)、(5)格調の高い「城と庭園」(玄宮園、彦根城、龍潭寺、醒井養鱒場など)、(6)いちまつの寂しさの漂う「史跡と古戦場」(姉川古戦場、賤ヶ岳、余呉湖、小谷城跡、渡岸寺など)、(7)野性的な連山と静かな浜辺「山岳と白砂」(近江舞子、海津大崎、比良山、箱館山スキー場など)の7つに区分されている。また、琵琶湖観光はスポーツなどの場としても脚光を浴びつつある。文化・社会教育施設には、県立図書館、県立近代美術館、県立琵琶湖博物館、県立芸術劇場びわ湖ホールや、特殊なものとして県立養鱒場や県立琵琶湖・環境科学研究センターがある。「近江聖人」といわれる儒学者の中江藤樹(現、高島市安曇川町出身)をはじめとして、同じく儒学者の雨森芳洲、浅見絅斎、産婦人科医の賀川玄悦、石の収集で有名な木内石亭、鉄砲鍛冶の国友藤兵衛、国学の北村季吟・伴蒿蹊、俳人の森川許六などの学者や文人を輩出している。近年では、彦根市のゆるキャラの「ひこにゃん」が有名な他、鳥人間コンテスト、びわ湖大花火大会、イナズマロックフェス等のイベントも開催されている。

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滋賀県内の資源一覧

伊吹山の写真

写真提供:日本自動車道株式会社(伊吹山ドライブウェイ)

伊吹山 ( 岐阜県 関ケ原町 / 滋賀県 米原市 )

標高は1,377m、岐阜・滋賀の県境にそびえる山で、伊吹山地の南端を占める。古事記や日本書記に記され、日本武尊(やまとたけるのみこと)*の伝説がある。平安時代から修験者が集まる山岳修行の山でもあった。深田久弥選定の日本百名山の一つ。  全山石灰岩*からなり、大部分が小潅木を交えた草原、さらに伊吹百草の名があるほどの薬草の...

苗村神社の写真

苗村神社 ( 滋賀県 竜王町 )

名神高速道路竜王インターチェンジから東へ4.4kmほど、雪野山と鏡山の間に広がる平野部の綾戸集落の北、大きな鎮守の森にある。近郷33カ村の総社として崇められ、現在でも竜王地方の氏神として信仰が篤い。  茅葺の楼門(国重要文化財)を挟み東西両社からなる。西本殿(国宝)は、鎌倉時代1308(徳治3)年造営の三間社流造*(さんげんし...

兵主大社の写真

写真提供:兵主大社

兵主大社 ( 滋賀県 野洲市 )

JR東海道本線野洲駅北口から琵琶湖方面へ、野洲市のほぼ中央にある。3世紀後半頃、景行天皇の世に滋賀穴太(あのう)へ遷された奈良の穴師坐兵主(あなしにいますひようず)神社を、欽明朝(539~571年)にさらに当地へ移し、718(養老2)年、社殿を創建したという。  もともと「兵主」の神は中国の八神信仰に由来し、渡来人が崇拝し各地に...

御上神社の写真

御上神社 ( 滋賀県 野洲市 )

延喜式内社で社格は旧官幣中社である。ご祭神は天之御影命であり、紀元前285(孝霊天皇6)年6月18日に三上山に天降ったといわれ、718(養老2)年3月15日に藤原不比等(ふじわらのふひと)が勅命によって現在地に社殿を造営したと伝えられている。金工鍛冶の神として崇敬され、また武神としても源頼朝をはじめ、武家の尊崇を集めた。  神社...

三上山(近江富士)の写真

三上山(近江富士) ( 滋賀県 野洲市 )

野洲市の南部にそびえる標高432mの小山で、近江富士*と呼ばれるごとく、円錐形の山容が美しく、湖東平野に君臨している。対岸の大津市側からは、琵琶湖越しに優しい姿を見せる。  山麓にある御上神社のご祭神天之御影命(あめのみかげのみこと)が降臨した山といわれ、山頂には奥宮が祀られ、古代からの原始的な信仰の場である。俵藤太(...

大笹原神社の写真

大笹原神社 ( 滋賀県 野洲市 )

JR東海道本線野洲駅から東に向かい、国道8号線に出合ったら、北上し、大篠原交差点を右折するとすぐにある。鏡山の北西麓に鎮座する。薬師如来の化身といわれ、神社南西方の岩蔵寺*の薬師は、大笹原神社とは一体の神社である。  廃仏毀釈が出る前までは、「天王さん」として親しまれ、除疫神としてまつられた。明治になり、境内社の篠原神...

長岡のゲンジボタルの写真

長岡のゲンジボタル ( 滋賀県 米原市 )

JR近江長岡駅前、天野川(あまのがわ)にかかる長岡橋一帯に発生する。6月の全盛期には無数のゲンジボタル*が飛び交い、夏の訪れを告げる。例年その時期に合わせ、地元住民の手づくりイベント「天の川ほたるまつり」を開催し、子ども達手づくりの行灯により道標や観賞の案内所などが設置され、多くの観賞者で賑わう。  長岡地域一帯は「長...

福田寺の写真

福田寺 ( 滋賀県 米原市 )

JR北陸本線田村駅から徒歩約10分の長沢地区にあり、大きな甍(いらか)が目立つ。長沢御坊(ながさわごぼう)の名で親しまれている。  寺伝によると、飛鳥時代の684(白鳳12)年に地元豪族の息長(おきなが)氏の菩提寺として建立された。後に近江で最初に浄土真宗寺院となり、戦国時代は一向一揆の拠点の一つとして、浅井長政と共に織田信...

青岸寺庭園の写真

青岸寺庭園 ( 滋賀県 米原市 )

JR東海道線米原駅から東へ国道8号を渡って10分程歩くと、太尾山(ふとおやま)西麓に青岸寺がある。もとは米泉寺(べいせんじ)といい、室町時代初期に、近江守護の佐々木京極道誉による開基と伝えられている。その後、兵火により焼失した。  江戸時代前期に彦根藩主三代の井伊直澄の命を受けて入山した彦根大雲寺の要津(ようしん)禅師よ...

彦根城の写真

彦根城 ( 滋賀県 彦根市 )

JR彦根駅西方の金亀山(こんきざん)の丘上に、琵琶湖畔を望み、白壁の三重三階の天守をのぞかせ聳え立つ。  井伊直政の遣志を継いで、子直継(のちに直勝と改名)が約20年をかけて築城、1622(元和8)年頃に完成した。近江に残る豊臣色一掃の目的を兼ねて、資材は大津・小谷(おだに)・長浜・安土・佐和山などの城の石垣や用材を使用し造...

彦根の街並みの写真

彦根の街並み ( 滋賀県 彦根市 )

彦根市は、江戸時代は井伊家35万石の城下町で、彦根城を中心に往時を偲ばせる古い町並みが各所に残っている。  彦根城の城下町は、1600(慶長5)年に関ヶ原の戦いで勝利した徳川方の井伊家(直政・直継)によって造られた。1604(慶長9)年から着工された彦根城の築城に伴い、 元和期(1615年から1624年)に3重の堀を巡らす城下町の骨格が...

玄宮楽々園の写真

玄宮楽々園 ( 滋賀県 彦根市 )

彦根城の北東、黒門の外にあり、内堀と中堀の間に位置している。彦根藩主の井伊家の下屋敷として、4代藩主井伊直興(いいなおおき)が1677(延宝5)年に造営し、槻御殿(けやきごてん)と呼ばれていた。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び、国指定の名勝である。  楽々園は、1813(文化10)年の11代藩主井伊直中の隠居に際...

鎌掛谷の石楠花の写真

鎌掛谷の石楠花 ( 滋賀県 日野町 )

名神高速道路八日市インターチェンジから東南へ約30分、鈴鹿国定公園特別地域内で鎌掛谷または石楠谷と呼ばれるアカマツの多い谷の山肌に、ホンシャクナゲの群落がある。標高300~400m地点に、面積およそ4万m2、約2万本が密生している。高さ2m前後が多いが、5m近いものもある。  4月中旬から下旬にかけて咲き競い、つぼみのとき...

日野祭の写真

日野祭 ( 滋賀県 日野町 )

霊峰綿向山の山頂にある大嵩神社の里宮で、日野町村井に鎮座する日野谷の馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)の春の例祭。850年以上の歴史があり、湖東地方で大きな規模の祭である。  毎年5月2日、3日にわたって行われ、2日は宵祭で、夕暮れより各町内の山倉や辻まで曳山が引き出され、提灯に明かりを灯し夜遅くまで祭ばやしが奏...

石馬寺の写真

石馬寺 ( 滋賀県 東近江市 )

繖山(きぬがさやま)東側の明神山の山裾にある。  594(推古2)年に聖徳太子がこの山麓に馬をつなぎ、山上に霊地を探して下山すると馬が石と化して池に沈んでいた*というところから石馬寺の寺号がつけられたと伝える。織田信長の兵火を受けて一時衰微したが、松島瑞巌寺(ずいがんじ)の雲居(うんご)国師の手で再興された。  楓が覆...

永源寺の写真

永源寺 ( 滋賀県 東近江市 )

湖東の山間で愛知(えち)川の北岸に、1361(康安元)年に佐々木六角氏頼(ささきろつかくうじより)が寂室元光(じゃくしつげんこう)*を迎えて開山した。後にたびたび兵火により荒廃したが、寛永年間(1624~44)に後水尾天皇の勅により、彦根藩の援助を受けて復興した。  石段の参道を登ると、右手に愛知川、左手の石崖には十六羅漢の...

東近江市五個荘金堂の町並みの写真

東近江市五個荘金堂の町並み ( 滋賀県 東近江市 )

東は愛知川、西は繖山、南は箕作山に区切られ、ほぼ平坦な水田地帯が広がり、古墳群や古代条里制遺構を残す古い歴史の町である。近世に活躍した近江商人のひとつ五個荘商人の発祥地「てんびんの里」として知られ、今も当時の蔵屋敷が残っている。近江商人たちの本宅と伝統的な農家住宅が一体となった町並みで、1998(平成10)年には国の重要...

阿賀神社の写真

阿賀神社 ( 滋賀県 東近江市 )

箕作山(みつくりやま)の南に岩肌を見せてそびえ立つ赤神山(あかがみやま)(標高350m)の中腹にあり、地元では太郎坊宮(たろうぼうぐう)の名で知られる。  社伝によれば、7世紀前期に赤神山に霊威を感じた聖徳太子が神祀りをしたことに始まり、799(延暦18)年には最澄が50余の社殿を山中に建立したという。源義経が参詣したという伝...

余呉湖の写真

余呉湖 ( 滋賀県 長浜市 )

JR北陸本線余呉駅の南にあり、東・南・西の三方を山に囲まれた湖。面積約1.8km2・周囲約6.4km、最大水深13m・平均水深7.4m。南方にそびえる賤ヶ岳(約421m)により、琵琶湖とは隔てられている。海抜132.8mで、琵琶湖より約50m高い。  もともとは、柳ヶ瀬断層の働きによってできた天然の陥没湖で、周囲の山々の渓流や伏流水が流...

渡岸寺観音堂(向源寺)の写真

渡岸寺観音堂(向源寺) ( 滋賀県 長浜市 )

JR北陸本線高月駅の北にある古刹。寺の歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼる。736(天平8)年、奈良の都で疱瘡が流行り死者が相次いだため、聖武天皇は僧の泰澄に除災を命じた。泰澄は十一面観音像を彫り、一宇を建て、息災延命、万民豊楽を祈祷したと伝えられる。  以来、病除けの霊験あらたかな観音として信仰され、801(延暦20)年には...

宝厳寺の写真

宝厳寺 ( 滋賀県 長浜市 )

琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)(周囲2km、面積0.4km2 )にある。  寺伝によれば724(神亀元)年、聖武天皇の勅願で僧行基が堂塔を開基させたのが始まりで、弁才天像(大弁才天)を本尊として本堂に安置。753(天平勝宝5)年、近江国浅井郡大領が観音堂に千手千眼観世音菩薩像を安置したとある。豊臣秀吉との関係も強く、...

都久夫須麻神社の写真

都久夫須麻神社 ( 滋賀県 長浜市 )

琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)(周囲2km、面積0.4km2)にある。  社伝によると、459(第21代雄略天皇3)年に浅井比売命(あざいひめのみこと)(弁財天)を祀った祠(ほこら)を建てたのが始まりと伝えられる。724(神亀元)年、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)(大弁才天)を祀った「宝厳寺(ほうごんじ)」が創...

長浜曳山祭の写真

長浜曳山祭 ( 滋賀県 長浜市 )

宮前町にある長濱八幡宮(ながはまはちまんぐう)*の春の例祭の中で、毎年4月に行われる。  1573(天正1)年に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が長浜城主になり、その後、初の男子出生を喜び、長浜町民に金子(砂金)をふるまった。それを元手に町民たちが12基の曳山(山車)を作り、八幡宮の祭礼に曳き回したのがこの祭の始まりといわれている...

慶雲館の写真

慶雲館 ( 滋賀県 長浜市 )

JR長浜駅から徒歩5分、旧長浜駅舎前(長浜鉄道スクエア)の南にある。  1887(明治20)年、長浜の豪商・浅見又蔵*氏が、明治天皇行幸に合わせ、私財を投じて建設した迎賓館。「慶雲館」という名称は、時の内閣総理大臣・伊藤博文が命名したと伝わる。約6000m2の敷地内に、高さ約5m、推定重量20tの大灯篭や、高さ5mの芭蕉の句...

黒壁スクエアの写真

黒壁スクエア ( 滋賀県 長浜市 )

北国街道(北陸と京阪神を結ぶ道)と、長浜城から東に延びる大手門通り(美濃の谷汲山華厳寺へと通じる街道)との交差点は、江戸時代に高札が立った「札の辻」と呼ばれ、古くから長浜の中心地である。  この辻に1900(明治33)年、第百三十国立銀行長浜支店(6年後に明治銀行となる)が建てられ、壁が黒塗りだったことから「黒壁銀行」の愛...

比叡山延暦寺の写真

比叡山延暦寺 ( 滋賀県 大津市 / 京都府 京都市 )

大津市と京都市に属する境界に位置する。両市から様々な交通手段を利用して、延暦寺まで容易に達することができる。比叡山には、延暦寺という名称の個別の寺院はない。延暦寺には133の堂宇が存在するが、その位置によって大きく、東塔、西塔、横川(よかわ)の3つの地域に分けられ、3地域を総合して延暦寺と呼ぶ。寺域も区切るのがむずかしい...

三井寺(園城寺)の写真

三井寺(園城寺) ( 滋賀県 大津市 )

京阪電鉄三井寺駅から徒歩7分、三井寺とも園城寺とも呼ばれる天台寺門宗の総本山である。  園城寺という呼び名は、672年の壬申の乱で敗れた大友皇子(おおとものみこ)*の子、大友与多(おおとものよた)王が、父の霊を弔うために、「田園城邑」を寄進して寺を創建し、この文字にちなみ、天武天皇から「園城」という勅額が贈られたことが...

日吉大社の写真

日吉大社 ( 滋賀県 大津市 )

比叡山の東麓、八王子山(牛尾山)の山裾に鎮まる当大社は、紀元前91(崇神天皇7)年に創祀された全国3800余りの分霊社(日吉、日枝、山王神社)の総本宮である。古くは山王七社*といわれたように、国宝の東本宮*・西本宮*など建築美を誇る多くの社殿が、大宮川の渓流が流れる森に立つ。境内には約3000本のモミジがあり、とりわけ秋は、壮...

浮御堂(満月寺)の写真

浮御堂(満月寺) ( 滋賀県 大津市 )

大津市北部、堅田にある。湖中にのびた橋の先に宝形造の仏堂が立っている、これが浮御堂である。臨済宗大徳寺派の寺院で、寺名を海門山満月寺という。  源信(恵心僧都)*が長徳年間(995~999)、湖上安全と衆生済度のため一堂を建て、1000体の阿弥陀仏を安置して千本仏堂と名付けたのに始まると伝わる。その後長らく荒廃していたが、江...

西教寺の写真

写真提供:西教寺

西教寺 ( 滋賀県 大津市 )

京阪石山坂本線坂本比叡山口駅の北西約1.5km、比叡山の東麓に広大な寺地を占める天台真盛(しんせい)宗の総本山。  聖徳太子が恩師である高麗僧の恵慈*、恵聡のために創建したと伝えられている。良源(慈恵大師)*が天台の念仏道場とし、源信(恵心僧都)*も入寺し、次第に栄えるようになった。1486(文明18)年、真盛(しんせい)*が...

石山寺の写真

石山寺 ( 滋賀県 大津市 )

京阪電鉄石山寺駅から約1km、瀬田唐橋から南へ約2km、伽藍山(がらんやま)を背に瀬田川に臨む佳景の地に立つ。天平時代からの豊かな歴史に支えられ、古来石山詣と称して人々に親しまれた。文学にも再々登場し、加えて貴重な文化財も多く保存する。西国三十三所第13番霊場で、今も多くの人が訪れる湖南屈指の名刹。境内には石山寺硅灰石が露...

近江神宮の写真

近江神宮 ( 滋賀県 大津市 )

京阪電鉄石山坂本線近江神宮前から徒歩7分。天智天皇6年(667年)、同天皇が都を飛鳥から近江大津宮へ遷された由緒に因み、天智天皇を祭神に、1940(昭和15)年、皇紀2600年を記念して大津市街の北方、宇佐山(うさやま)の山腹に創建された。官幣大社に列せられる。  朱塗の楼門をくぐると、樹林に包まれた白木造の外拝殿が現れ、背後に回...

坂本門前町の街並みの写真

坂本門前町の街並み ( 滋賀県 大津市 )

比叡山の東麓にある延暦寺や日吉大社の門前町。比叡山の歴史とともに栄枯を重ね、平安時代から、山側の上坂本が門前町、湖畔の下坂本が荷揚げ港として発展し、中世には近江国最大の都市として繁栄。坂本港から運ばれる物資の集積地、京への中継地として人口1万数千人を数える商業都市になった。  比叡山焼討ち後は次第に浜大津にその地位...

大津祭の写真

大津祭 ( 滋賀県 大津市 )

湖国三大祭*の一つで、天孫(てんそん)神社*の例祭。スポーツの日前日に行われる本祭で、13基の曳山(ひきやま)が市内を練り歩く曳山巡行が祭りのハイライト。豪華なゴブラン織りや精巧な金具に飾られた曳山がコンチキチンの囃子にのってゆるゆると動き、からくり人形の所作が演じられる。  慶長年間(1596~1615)に鍛治屋町に住む塩...

山王祭(日吉大社 )の写真

山王祭(日吉大社 ) ( 滋賀県 大津市 )

山王さんといわれる日吉大社の例祭で、湖国三大祭*の1つ。791 (延歴10)年、桓武天皇により日吉社に2基の神輿が寄進されて以来、1200年以上の歴史を有する祭りで、西本宮 大己貴神(おおなむちのかみ)・東本宮 大山咋神(おおやまくいのかみ)の鎮座の由来をたどりながら、天下泰平・五穀豊穣を祈る。祭礼中、山王七社の7基の神輿(1基150...

建部大社の写真

建部大社 ( 滋賀県 大津市 )

瀬田の唐橋から150mほど進むと、瀬田橋本商店街に入る。この道は旧東海道で、橋本は橋畔集落である。唐橋から建部大社までの道は、味わいのある歴史街道である。  日本書紀によれば、戦功のあった日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀るため、神崎郡建部郷(現、東近江市)にあったものを、675(天武天皇白鳳4)年に勅命により近江国衙(...

滋賀院門跡の写真

滋賀院門跡 ( 滋賀県 大津市 )

京阪電鉄坂本比叡山口から国道47号線を西に向かい、生源寺の前を左に折れると、老舗のそば屋鶴喜がある。隣には鶴屋益光、少し先に廣栄堂寿延の和菓子の店があり、ともに延暦寺や日吉大社など各寺院の御用達になっている。この道を進むと、すぐに右手に滋賀院の門がある。現在は延暦寺の本坊があるが、江戸時代末まで天台座主(ざす)の法親...

河内の風穴の写真

河内の風穴 ( 滋賀県 多賀町 )

近江鉄道多賀大社前駅から北東へ、芹川渓谷を7km遡った霊仙山(りようぜんさん)南西麓のカルスト地帯にあり、約55万年前にできた鍾乳洞である。総延長は10,000m以上で、入口は高さ1mと小さいが、洞内は3層構造で小洞が複雑につながっていて、推定面積は1500m2といわれる。  1922(大正11)年に観光用の松明がつけられ、現在は...

多賀大社の写真

多賀大社 ( 滋賀県 多賀町 )

近江鉄道多賀大社前駅の前に大鳥居が立ち、神社まで徒歩10分の参道には土産物店が並ぶ。お多賀さんの愛称で知られ、かつて「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と里謡にも謡われ、伊勢神宮の祭神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の両親、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を...

滋賀県立琵琶湖博物館の写真

写真提供:滋賀県立琵琶湖博物館

滋賀県立琵琶湖博物館 ( 滋賀県 草津市 )

JR琵琶湖線草津駅からバスで約25分、琵琶湖畔の烏丸半島にある。2016年、18、20年と3期にわたるリニューアルを行ない、質・量ともに充実している。単に展示を見せるだけでなく、魚類の保護増殖*にも力を入れている。400万年にもおよぶ琵琶湖のおいたちや、現在は絶滅しているゾウがいた森を紹介するオープン・ジオラマコーナーがあるA展示室...

海津大崎のサクラの写真

海津大崎のサクラ ( 滋賀県 高島市 )

海津大崎は、琵琶湖の北端、海津湾の東に波食によって突き出した岩礁地帯で、紺碧の深い湖中に断崖となって落ち込む。その大崎に、春にはソメイヨシノが彩る。  このサクラ並木は、1936(昭和11)年に大崎トンネルが完成したのを記念して、海津村(当時)が植樹をしたものである。しかしそれより5年前に、滋賀県高島地方事務所の修路作業員...

マキノ高原のメタセコイア並木の写真

マキノ高原のメタセコイア並木 ( 滋賀県 高島市 )

JR湖西線マキノ駅からマキノ高原線バスで約6分。農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線に、約2.4kmにわたりメタセコイア*が約500本植えられている。遠景の野坂山地の山々と調和し、マキノ高原へのアプローチとして、25mの高さの並木が四季折々に美しい景観を見せている。  この並木は、1981(昭和56)年に学童農園「マ...

針江生水の郷の写真

針江生水の郷 ( 滋賀県 高島市 )

針江集落はJR湖西線新旭駅からやや北東、徒歩15分ほどのところにある。安曇川下流の扇状地左岸に位置し、中央に針江大川が流れる。  集落全体の面積150万m2 、約150戸のうち、110戸余りで10~20m前後に打ち込んだ鉄管から水が湧き出ている。水脈のうえに集落があるので、水が出る箇所が多くあり、針江では地域のきれいな湧水の...

西明寺の写真

写真提供:西明寺

西明寺 ( 滋賀県 甲良町 )

琵琶湖の東、鈴鹿山脈の麓に位置する天台宗寺院で、湖東三山の一つ。  2015年にアメリカのニュース専門局CNNのWeb特集において『日本の最も美しい場所31選』(現在は36選)に選ばれた関西有数の観光名所。名神高速道路湖東三山スマートI.Cから約5分である。  平安時代の初期にあたる834(承和元)年に仁明(にんみょう)天皇の勅願により...

油日神社の写真

油日神社 ( 滋賀県 甲賀市 )

JR草津線油日駅から東へ歩き、ご神体となる油日岳(694m)の北西麓に鎮座する。  山頂に奥宮があり、水の神である岳大明神「罔象女命(みつはのめのかみ)」が祀られている。当社はその里宮にあたり、油の火の神を祀っている。  開創年代は明らかではないが、『日本三代実録』*に「元慶元年(877年)……近江国正六位上油日神社に従五位下...

大池寺の写真

大池寺 ( 滋賀県 甲賀市 )

近江鉄道水口駅北西、丘陵地に囲まれた閑静な地にある。長い刈込み垣に挾まれた参道を行くと、山門と白壁の塀が目を引く。天平年間(729~749)、行基菩薩が開創という古寺で、1321(元享元)年東福寺の僧無才智翁禅師によって禅宗に改宗された。1577(天正5)年、戦火にあい境内全域が焼失したが、1667(寛文7)年、瑞鳳寺(仙台市)の丈巌...

櫟野寺の写真

櫟野寺 ( 滋賀県 甲賀市 )

JR草津線油日駅の北東、油日神社の北にあり、「いちいの観音さん」の名で親しまれている。792(延暦11)年、最澄が比叡山根本中堂の用材を求めてこの地を訪れたとき、櫟(いちい)の木に十一面観音を彫刻し、これを本尊にして開いたのが始まりという。これ以後、この地方の中心的天台寺院として栄え、今なお藤原時代(894~1185)の仏像を多数...

信楽焼の街並みの写真

信楽焼の街並み ( 滋賀県 甲賀市 )

信楽高原鐵道信楽駅を出ると、左手に高さ5mを超える大きなタヌキ像が迎えてくれる。駅前通りはタヌキや信楽焼を並べた店が新宮神社まで点在する。  信楽焼は、信楽(しがらき)の町で焼かれる陶器である。信楽焼が盛んになったのは鎌倉時代以降で、穴窯によって農耕用具の種壺などが焼かれていた。これらを古信楽という。室町時代に入り...

MIHOMUSEUMの写真

MIHOMUSEUM ( 滋賀県 甲賀市 )

甲賀市の西部、信楽と大津市との境界に近い山中にある。美術館までは信楽高原鐵道信楽駅と大津市のJR石山駅からバスが出ている。  創立者小山美秀子の「美術を通して、世の中を美しく、平和に、楽しいものに」との想いからはじまったコレクションは、多彩な日本美術ととも世界の古代美術など約3,000件を所蔵。設計はパリ・ルーヴル美術館ガ...

常楽寺の写真

常楽寺 ( 滋賀県 湖南市 )

JR草津線石部駅の南方約4km、阿星山の北麓にある。湖南三山の一つ。広い境内にどっしりとした本堂*と三重塔*がおちついた雰囲気で立つ。  和銅年間(708~715)に元明天皇の勅命により、良弁*が開基した「阿星寺五千坊」の中心寺院として建立され、紫香楽宮(742~745)の鬼門鎮護として栄えた。平安~鎌倉時代には、皇室の帰依を受けて...

善水寺の写真

善水寺 ( 滋賀県 湖南市 )

JR草津線甲西駅と三雲駅のちょうど真ん中から北東方向に位置する岩根山(標高405m)の中腹にあり、湖南三山の一つ。曲がりくねった山道を登りつめたところに、堂々とした本堂*が立つ。  和銅年間(708~715)に国家鎮護の法相宗道場として創建されたといわれ、和銅寺と号した。そののち最澄が比叡山を開創し、堂舎建立のため用材を甲賀の...

長寿寺の写真

長寿寺 ( 滋賀県 湖南市 )

JR草津線石部駅から車で10分、常楽寺の南東1.5km、阿星山北東麓にある。常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる古刹。山門から本堂まではモミジの並木道がつづき、参道の右手に鎌倉時代の石造多宝塔があり、さらに進むと樹林を背にして本堂*が立つ。むかしは大伽藍があったと伝えられる境内も、今は森閑としている。  天平年間(729~749)に...

長命寺の写真

長命寺 ( 滋賀県 近江八幡市 )

琵琶湖に臨む長命寺山(標高333m)の8合目(250m)に建てられ、西国三十三所観音霊場*の第31番札所で、健康長寿を祈願する多くの参拝者で賑わう。  寺伝によれば、3世紀後半から4世紀初頭の第12代景行(けいこう)天皇の時代に、大臣の武内宿禰(たけのうちのすくね)が、この山で柳の巨木に「寿命長遠所願成就(じゅみょうちょうおんしょ...

日牟禮八幡宮の写真

日牟禮八幡宮 ( 滋賀県 近江八幡市 )

JR近江八幡駅の北西で、標高272mの八幡山(はちまんやま)の南麓にあり、「八幡さま」として広く親しまれ、近江商人からの信仰も篤く、近江八幡の地名の由来にもなっている。  社伝によれば、131年に第13代成務天皇が即位の折に創建され、991(正暦2)年には八幡山に社を建て、九州の宇佐八幡宮を勧請して上の八幡宮を祀った。1005(寛弘2...

観音正寺の写真

観音正寺 ( 滋賀県 近江八幡市 )

琵琶湖の東、標高433mの繖山(きぬがさやま)の山腹にあり、西国三十三所観音霊場*の第32番札所で、万事吉祥の縁結びの祈願道場として多くの参拝者で賑わう。  寺の縁起によれば、近江を遍歴していた聖徳太子が、琵琶湖から現れた人魚に苦しみから救ってほしいと懇願され、太子自ら千手観音像を刻み、飛鳥時代605(推古天皇13)年、山頂に...

安土城の写真

安土城 ( 滋賀県 近江八幡市 )

JR東海道線安土駅の北東約1.5kmの安土山(標高199m)に織田信長が築いた平山城。  1575(天正3)年に、「長篠・設楽原の戦い」で信長・徳川家康連合軍の鉄砲隊が武田勝頼軍を潰滅した後、信長が天下統一に向けて、翌1576年に築城を命じ、1579(天正7)年に完成した。現在は、その後の干拓により四方とも陸地だが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭...

近江八幡左義長まつりの写真

近江八幡左義長まつり ( 滋賀県 近江八幡市 )

日牟禮八幡宮で行なわれる火祭。近江八幡に春の訪れを告げるお祭りで、例年3月14・15日に近い土・日曜日に催される。  元々は安土城下で行われていたもので、城主であった織田信長自らも踊り出たと伝えられる。信長亡き後、領主となった豊臣秀次が八幡山城の城下町を開き、安土から八幡城下に移り住んだ町衆によって再開された。  左義長...

近江八幡の町並みの写真

近江八幡の町並み ( 滋賀県 近江八幡市 )

近江八幡市は琵琶湖に面し、湖東地域のほぼ中央にある。  1585(天正13)年、豊臣秀次(ひでつぐ)が叔父の豊臣秀吉の命により八幡山(はちまんやま)に城を築き、その南麓に安土城下の人々を移し住まわせて城下町とし、琵琶湖の水を導く八幡堀を開削し、楽市楽座を開いた。八幡山城廃城後は、幕府直轄地(天領)となったが、江戸時代を通...

百済寺の写真

百済寺 ( 滋賀県 東近江市 )

琵琶湖の東、鈴鹿山脈の麓に位置し、名神高速道路湖東三山スマートI.Cから約10分である。西明寺(さいみょうじ)・金剛輪寺(こんごうりんじ)と並んで湖東三山の一つに数えられ、最も南にある。  寺伝では、606(推古天皇14)年に聖徳太子の勅願により創建されたという古刹。仏教が朝鮮半島の百済(くだら)国経由で伝来したことから山号...

金剛輪寺の写真

金剛輪寺 ( 滋賀県 愛荘町 )

名神高速道路湖東三山スマートI.Cより約1分。西明寺(さいみょうじ)・百済寺(ひゃくさいじ)と並ぶ湖東三山の一つ。  寺伝では、741(天平13)年、聖武天皇の命で行基が建立、848~851年(嘉祥年間)に円仁(慈覚大師)が天台の道場として中興した。織田信長の兵火の被害は少なく、湖東三山の中では寺宝がもっとも多く残っている。総門の...

ふなずしの写真

ふなずし ( 滋賀県 大津市 / 滋賀県 草津市 / 滋賀県 長浜市 / 滋賀県 高島市 / 滋賀県 彦根市 )

江戸前寿司や箱ずしの起源となるなれずしの一種。琵琶湖産のニゴロブナ*を塩漬けにし、さらにごはんに漬けて乳酸菌の力で発酵させる。ニゴロブナは2~5月に漁獲され、そこから仕込みが始まる。大きな魚だと発酵完了まで2年ほどかかる*。  なれずしはおもに正月などハレの日の食べ物として多くの家庭で作られていた。正月などのめでたい席...

田村神社の写真

田村神社 ( 滋賀県 甲賀市 )

鉄道はJR草津線油日駅が最寄り駅になるが、土山中学校を目指して北東へ8kmほど歩くことになるため、貴生川駅南口のバスターミナルより市内バスを利用するのが良い。国道1号線のすぐ北、野洲川の支流田村川沿いにある閑静な森の中に鎮座する古社。  開創年代は明らかではないが、812(弘仁3)年の建立と言われる。鈴鹿の鬼退治をした坂上田...

勝部の火祭りの写真

勝部の火祭り ( 滋賀県 守山市 )

鎌倉時代、土御門天皇を呪う大蛇を退治し焼き払ったところ、天皇の病気が治ったとの言い伝えを起源とする。胴体は勝部で、頭は浮気(ふけ)で退治されたことから、勝部神社*と浮気町(守山市)の住吉神社で、それぞれ胴体と頭に見立てた松明を燃やし、1年の無病息災を祈る。  勝部神社の火祭りは800年余りもの長い間続けられている。1月第...

佐川美術館の写真

佐川美術館 ( 滋賀県 守山市 )

JR東海道本線守山駅からバスで約30分。対岸のJR湖西線堅田駅はバスで約15分。  佐川急便株式会社が創業40周年記念事業の一環として、1998(平成10)年に開館した。3棟の建物は水に浮かぶように佇み、周辺の自然環境とも調和して、それ自体がアートとなっている。  日本画家の平山郁夫*、彫刻家の佐藤忠良*、陶芸家の樂直入*の作品を展...

銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)の写真

銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館) ( 滋賀県 野洲市 )

JR東海道本線野洲駅から北東方向、弥生の森歴史公園に隣接する。  博物館の約500m北西の大岩山の中腹から、1881(明治14)年に14個の銅鐸(うち2個は現在所在不明)が、さらに1962(昭和37)年には10個の銅鐸が出土した。これらの中には、高さ134.7cm・重さ45.47kgと日本最大のものも含まれていた。その大半は近畿式銅鐸*であるが、東海...