滋賀県
印刷するJR東海道本線、東海道・山陽新幹線、北陸線、湖西線、草津線の他、私鉄の近江鉄道各線、信楽高原鉄道、京阪電気鉄道、比叡山鉄道が走る。道路では、名神高速道路、北陸自動車道、新名神高速道路を始め、京滋バイパス、伊吹山、奥比叡、奥琵琶湖、鈴鹿などの有料道路がある。この他、湖西道路、国道1、8、21、161、303、306、307、365、367、421、422、477号線が通る。日本でも重要な交通ルートが県内を走る。この他、琵琶湖では観光遊覧船や渡し船が航行している。
周囲を伊吹、鈴鹿、比良、比叡などの山々に囲まれた内陸県。若狭、伊勢両湾の湾入により作られた地狭部にあたり、大阪湾から若狭湾に至る低地帯の一部である。中央部には県の面積の約6分の1を占める日本で一番大きな湖「琵琶湖」があり、その周囲に湖南平野、湖東平野、湖北平野、湖西平野が広がる。周囲の山々から琵琶湖に流れこむ川の数は、大きな川だけでも120以上もあり、琵琶湖に流入した水は、瀬田川、宇治川、淀川となって大阪湾にそそぎ、一方では疏水となって京都盆地に流れている。琵琶湖は、1993(平成5)年ラムサール条約登録湿地となった。自然公園には、琵琶湖、鈴鹿の2国定公園と、三上・田上・信楽、朽木・葛川、湖東の3県立自然公園がある。
日本のほぼ中央に位置する交通要衝であった滋賀県(近江国)は、縄文時代以来つねに東日本と西日本との接点として重要視され、壬申の乱をはじめとして数多く天下分け目の戦いの戦場となってきた場所で、多くの城下町、宿場町、港町などの歴史的都市を生み出している。近江国は早くから開けた地で、古代政治史の中心でもあった。琵琶湖の水運も盛んに利用され、北陸諸国の物資などは、越前(福井)の敦賀から塩津を経て琵琶湖上を大津まで運ばれ、のち京へもたらされた。また比叡山延暦寺の門前町も大津の坂本に発達するなど、京や奈良の有力な社寺の荘園も多数置かれていた。鎌倉時代には湖北では浅井氏が台頭して政治的状況も大きく変化したが、織田信長が浅井氏や佐々木六角氏を滅ぼし、安土城を築城。翌年に楽市・楽座を開いたことから、その後の城下町に大きな影響を与え、本能寺の変後は豊臣秀吉が支配し、長浜、近江八幡、大津などの城下町が栄えた。江戸時代に入り、関ヶ原の戦いで功績のあった井伊直政がのちに彦根城下町を建設。また、徳川家康が大津城を膳所に移して城下町を建設したのに加え、東海道、中山道の整備も進められて多くの宿場町が栄えたのとともに、琵琶湖水運の港町としても大いに繁栄した。さらに、近江八幡や日野、五個荘などの商人が全国的に活躍し、近江商人として多くの利益をあげた。1881(明治14)年に現在の滋賀県が固定し、東海道本線を中心とする交通網の整備が進み、繊維などの近代的工業の立地、琵琶湖内湖の干拓事業や農業用水の整備がおこなわれた。
かつては典型的な農業県だったが、1964(昭和39)年の名神高速道路の開通を契機として、急速な工業化進んだ。現在も農業はおこなわれているが専業農家は少なく、第2種兼業農家が多い。農業では、米作の他、野菜栽培や花卉栽培、肉牛肥育、乳牛飼育や養鶏、湖南の丘陵地帯では銘茶の栽培が有名で、若干の果樹栽培もみられる。水産業では、琵琶湖の沖島、堅田、尾上などに漁業集落があり、エビ、コアユ、フナ、シジミ、イサザ、ホンモロコ、コイなどの漁獲が多い。また、安曇川と姉川の河口にアユ産卵用の人工河川が1981(昭和56)年につくられている。また、えり、追い叉手、簗、四手網など古くからの漁法が残る。工業では、古くから浜縮緬(長浜市)、紡績(彦根市)、麻織物(愛荘町)、蚊帳(長浜市・東近江市)、綿クレープ(高島市)などの繊維関係工業が盛ん。このほか信楽焼(甲賀市)、扇骨(高島市)、薬(甲賀市・日野町)、仏壇(彦根市)などの特色ある地場産業も発達し、これらは現在もなお継承されている。特に繊維関係工業が多く立地していたことがその後の工業に大きく影響しており、大正~昭和初期にかけて、琵琶湖の水を求め、近代的繊維工場の建設(大津の旭人絹・東洋レーヨン・昭和レーヨン、彦根の近江絹糸・鐘淵紡績、能登川の日清紡績など)が進んだ。他にも、電気機械、一般機械、輸送用機械、鉄鋼、金属、化学など非用水型の内陸型工業や、湖南、草津、水口、日野等の五十数か所に及ぶ工業団地が操業している。
県内には文化財が多く、国指定の重要文化財は2018(平成30)年現在で819件(うち国宝は55件)という全国でも屈指の県(東京・京都・奈良に次いで第4位)で、延暦寺、園城寺、石山寺、日吉(ひえ)大社などがある大津市に集中している。また国指定の史跡の数も多く、特別史跡の安土城跡と彦根城跡をはじめとして40以上の史跡がある。このような古い歴史と豊富な文化財、そして恵まれた自然環境にはぐくまれて、バラエティーに富む民俗文化や民俗芸能が伝えられてきた。長浜曳山祭の曳山行事は国指定重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。油日神社の太鼓踊(甲賀市)、朝日豊年太鼓踊(米原市)は国の選択無形民俗文化財に指定されている。ほかにも県内各地の神社で伝統行事がおこなわれている。また、多くの民俗的行事が継承され、とくに湖北地方で冬に行われる春をよぶ「おこない」行事、各地に残る「宮座」などがある。また、恵まれた自然と歴史を背景に多くの観光資源があり、室町時代以降、「石山の秋月、瀬田の夕照、矢橋の帰帆、堅田の落雁、粟津の晴嵐、三井の晩鐘、唐崎の夜雨、比良の暮雪」の近江八景があり、1949(昭和24)年には琵琶湖八景が「夕陽…瀬田石山の清流、煙雨…比叡の樹林、涼風…雄松崎の白汀、暁霧…海津大崎の岩礁、新雪…賤ヶ岳の大観、月明…彦根の古城、春色…安土八幡の水郷、深緑…竹生島の沈影」に制定された。現在、琵琶湖をめぐる観光資源は、(1)歴史を物語る社寺と街並みと新しいレジャー施設の「文化となぎさの楽園」(石山寺、琵琶湖大橋、浮御堂、比叡山延暦寺など)、(2)新鮮な空気と緑の丘陵「若人の丘」(希望ヶ丘、金勝アルプス、狛坂磨崖仏、東海自然歩道など)、(3)友人や家族と過ごす湖畔「団らんの水辺」(休暇村近江八幡、水郷、蒲生野、安土城跡など)、(4)さわやかな木漏れ日と清らかな谷「深山と渓谷」(永源寺・鈴鹿ハイキングコース、石塔寺など)、(5)格調の高い「城と庭園」(玄宮園、彦根城、龍潭寺、醒井養鱒場など)、(6)いちまつの寂しさの漂う「史跡と古戦場」(姉川古戦場、賤ヶ岳、余呉湖、小谷城跡、渡岸寺など)、(7)野性的な連山と静かな浜辺「山岳と白砂」(近江舞子、海津大崎、比良山、箱館山スキー場など)の7つに区分されている。また、琵琶湖観光はスポーツなどの場としても脚光を浴びつつある。文化・社会教育施設には、県立図書館、県立近代美術館、県立琵琶湖博物館、県立芸術劇場びわ湖ホールや、特殊なものとして県立養鱒場や県立琵琶湖・環境科学研究センターがある。「近江聖人」といわれる儒学者の中江藤樹(現、高島市安曇川町出身)をはじめとして、同じく儒学者の雨森芳洲、浅見絅斎、産婦人科医の賀川玄悦、石の収集で有名な木内石亭、鉄砲鍛冶の国友藤兵衛、国学の北村季吟・伴蒿蹊、俳人の森川許六などの学者や文人を輩出している。近年では、彦根市のゆるキャラの「ひこにゃん」が有名な他、鳥人間コンテスト、びわ湖大花火大会、イナズマロックフェス等のイベントも開催されている。