善水寺
JR草津線甲西駅と三雲駅のちょうど真ん中から北東方向に位置する岩根山(標高405m)の中腹にあり、湖南三山の一つ。曲がりくねった山道を登りつめたところに、堂々とした本堂*が立つ。
和銅年間(708~715)に国家鎮護の法相宗道場として創建されたといわれ、和銅寺と号した。そののち最澄が比叡山を開創し、堂舎建立のため用材を甲賀の地に求めたが、日照り続きのため材を流すことができなかった。浄地を探したところ、岩根山中腹に堂があり、そのそばに百伝池(ももつてのいけ)を見つけ、7日間祈祷をすると大雨が降り続き、材を川に流すことができた。その後、京で桓武天皇の病の際、薬師仏の霊水を献上したところ、たちまち平癒された。この縁によって「善水寺」の寺号を賜ったという。
1360(延文5)年に火災にあい、1364(貞治3)年に再建。国宝の本堂は、天台仏殿で南北朝の再建で、1899(明治32)年に、特別保護建造物に指定されたのを契機に、大修理が行われた。本堂内には、藤原時代の作と伝えられる本尊秘仏の薬師如来坐像をはじめ30体ほどの仏像があり、本坊には金銅誕生釈迦仏立像が安置されている。池の周辺は、小規模ながら手入れの行き届いた池泉式回遊式庭園になっている。
和銅年間(708~715)に国家鎮護の法相宗道場として創建されたといわれ、和銅寺と号した。そののち最澄が比叡山を開創し、堂舎建立のため用材を甲賀の地に求めたが、日照り続きのため材を流すことができなかった。浄地を探したところ、岩根山中腹に堂があり、そのそばに百伝池(ももつてのいけ)を見つけ、7日間祈祷をすると大雨が降り続き、材を川に流すことができた。その後、京で桓武天皇の病の際、薬師仏の霊水を献上したところ、たちまち平癒された。この縁によって「善水寺」の寺号を賜ったという。
1360(延文5)年に火災にあい、1364(貞治3)年に再建。国宝の本堂は、天台仏殿で南北朝の再建で、1899(明治32)年に、特別保護建造物に指定されたのを契機に、大修理が行われた。本堂内には、藤原時代の作と伝えられる本尊秘仏の薬師如来坐像をはじめ30体ほどの仏像があり、本坊には金銅誕生釈迦仏立像が安置されている。池の周辺は、小規模ながら手入れの行き届いた池泉式回遊式庭園になっている。

みどころ
湖東三山が定着したこともあり、あやかって、2004年10月湖南市誕生を機に、湖南三山を選んだ。市内の善水寺、⾧寿寺、常楽寺の三寺で、いずれも天台宗の古刹で、本堂が国宝、モミジが美しい、国指定重要文化財となっている数多くの仏像をもつ、これらが三山の共通である。
善水寺では数多くの仏像を丁寧に見たい。重要文化財の指定を受けている仏像でも15駆あり、なかでも金銅誕生釈迦仏立像は、奈良の東大寺誕生釈迦仏立像とよく似ている。このころ、このタイプの誕生仏が数多く作像されていたのではといわれている。本尊の木造薬師如来坐像は、秘仏であるため拝観できない。
善水寺では数多くの仏像を丁寧に見たい。重要文化財の指定を受けている仏像でも15駆あり、なかでも金銅誕生釈迦仏立像は、奈良の東大寺誕生釈迦仏立像とよく似ている。このころ、このタイプの誕生仏が数多く作像されていたのではといわれている。本尊の木造薬師如来坐像は、秘仏であるため拝観できない。

補足情報
*本堂:桁行七間、梁間五間、入母屋造、檜皮葺で、向拝はなく、正面中央間だけ桟唐戸、ほかは内開きの蔀戸がはめられている。南北朝時代の1366(貞治5)年に建立。
関連リンク | 国宝岩根山 善水寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
国宝岩根山 善水寺(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト) 『滋賀県の歴史散歩 上』滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 『岩根山』 資料 |
2025年04月現在
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