兵主大社
JR東海道本線野洲駅北口から琵琶湖方面へ、野洲市のほぼ中央にある。3世紀後半頃、景行天皇の世に滋賀穴太(あのう)へ遷された奈良の穴師坐兵主(あなしにいますひようず)神社を、欽明朝(539~571年)にさらに当地へ移し、718(養老2)年、社殿を創建したという。
もともと「兵主」の神は中国の八神信仰に由来し、渡来人が崇拝し各地に祀ったが、「兵主」を「つわものぬし」と読むことで武将の信仰を集め、源頼朝や足利尊氏、徳川氏らの寄進を受けた。
両側にクロマツが植えられた300mほどの松並木の参道を行くと、左手に朱の鳥居と朱の楼門が立つ。楼門をくぐり、カエデの老樹の多い100mの参道先に、変化に富んだ入母屋造の拝殿と流造の本殿が鎮座する。庭園(国指定名勝)*は回遊式になっており、コケやモミジが美しい。
もともと「兵主」の神は中国の八神信仰に由来し、渡来人が崇拝し各地に祀ったが、「兵主」を「つわものぬし」と読むことで武将の信仰を集め、源頼朝や足利尊氏、徳川氏らの寄進を受けた。
両側にクロマツが植えられた300mほどの松並木の参道を行くと、左手に朱の鳥居と朱の楼門が立つ。楼門をくぐり、カエデの老樹の多い100mの参道先に、変化に富んだ入母屋造の拝殿と流造の本殿が鎮座する。庭園(国指定名勝)*は回遊式になっており、コケやモミジが美しい。

みどころ
心字池に中の島を浮かべ、出島を造り、池の護岸となる石組を生かした庭園は美しい。池を回る小道は一面の苔の間を縫っていく。中の島では、かつて水の流れを利用して祭祀が行われていたことが裏付けられている。

補足情報
*庭園:1953(昭和28)年に名勝の指定を受けた。その後1991(平成3)年からの発掘調査により、平安時代後期の作であることが確認され、1996(平成8)年に範囲を拡大して追加指定を受けた。
関連リンク | 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ |
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参考文献 |
滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ 野洲市観光なび!(野洲市観光物産協会)(WEBサイト) 『滋賀県の歴史散歩』滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 『兵主大社』資料 『兵主神社庭園の保存と活用』辻広志 日本造園学会 |
2025年04月現在
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