慶雲館
JR長浜駅から徒歩5分、旧長浜駅舎前(長浜鉄道スクエア)の南にある。
1887(明治20)年、長浜の豪商・浅見又蔵*氏が、明治天皇行幸に合わせ、私財を投じて建設した迎賓館。「慶雲館」という名称は、時の内閣総理大臣・伊藤博文が命名したと伝わる。約6000m2の敷地内に、高さ約5m、推定重量20tの大灯篭や、高さ5mの芭蕉の句碑、慶雲館本館、茶室「恵露庵」などがある。
その後1912(明治45)年に、息子の又次郎が行幸25周年を記念して敷地の本格的な整備事業を行い、庭園が造られた。明治時代の作庭家小川治兵衛が手がけ、本館南の庭は池泉回遊式庭園である。
毎年早春(1月上旬から3月上旬)には、盆梅展(ぼんばいてん)が開かれる。
1887(明治20)年、長浜の豪商・浅見又蔵*氏が、明治天皇行幸に合わせ、私財を投じて建設した迎賓館。「慶雲館」という名称は、時の内閣総理大臣・伊藤博文が命名したと伝わる。約6000m2の敷地内に、高さ約5m、推定重量20tの大灯篭や、高さ5mの芭蕉の句碑、慶雲館本館、茶室「恵露庵」などがある。
その後1912(明治45)年に、息子の又次郎が行幸25周年を記念して敷地の本格的な整備事業を行い、庭園が造られた。明治時代の作庭家小川治兵衛が手がけ、本館南の庭は池泉回遊式庭園である。
毎年早春(1月上旬から3月上旬)には、盆梅展(ぼんばいてん)が開かれる。

みどころ
本館は二階建て尾州産の総檜造りの寄棟造、桟瓦葺の大屋根、南面・西面は銅板葺の庇(ひさし)、玄関は純和風づくりである。
庭園は、表門から中門にいたる前庭、中門から本館玄関前に広がる玄関前庭、本館の南に広がる主庭で構成されている。主庭は、中央に深い涸池を配置するなど地形に大きな起伏をつけた立体的構成の池泉回遊式。築山・池泉・松と巨石が調和した豪壮な意匠。
1952(昭和27)年から始まった長浜盆梅展には、300鉢の中から開花状況に合わせて約90鉢がお座敷に展示される。中には高さ3m近い巨木や樹齢400年を超える古木もある。会場は梅の清香でいっぱいになる。
庭園は、表門から中門にいたる前庭、中門から本館玄関前に広がる玄関前庭、本館の南に広がる主庭で構成されている。主庭は、中央に深い涸池を配置するなど地形に大きな起伏をつけた立体的構成の池泉回遊式。築山・池泉・松と巨石が調和した豪壮な意匠。
1952(昭和27)年から始まった長浜盆梅展には、300鉢の中から開花状況に合わせて約90鉢がお座敷に展示される。中には高さ3m近い巨木や樹齢400年を超える古木もある。会場は梅の清香でいっぱいになる。

補足情報
*浅見又蔵:1839(天保10)~1900(明治33)年。長浜市内で薬種商の三男として生まれ、22歳の時に浅見家の養子となる。浅見家は長浜の地場産業である浜縮緬(はまちりめん)製造業を営んでおり、又蔵は浅見家を長浜を代表する豪商に育てあげた。滋賀県第一小学校(開知学校)や銀行設立、鉄道敷設など地域の発展に尽くし、長浜近代化の父と言われる。
関連リンク | 国指定名勝 慶雲館(WEBサイト) |
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参考文献 |
国指定名勝 慶雲館(WEBサイト) 文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ 「滋賀県の歴史散歩」滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 |
2025年04月現在
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