観音正寺
琵琶湖の東、標高433mの繖山(きぬがさやま)の山腹にあり、西国三十三所観音霊場*の第32番札所で、万事吉祥の縁結びの祈願道場として多くの参拝者で賑わう。
寺の縁起によれば、近江を遍歴していた聖徳太子が、琵琶湖から現れた人魚に苦しみから救ってほしいと懇願され、太子自ら千手観音像を刻み、飛鳥時代605(推古天皇13)年、山頂に堂塔を建立したのが寺の起こりと伝えられる。
鎌倉・室町時代は近江守護の佐々木六角氏に崇敬され、盛時は寺坊が30を超えたという。応仁・文明の乱(1467年~1477年)の際に観音寺城が築かれ、寺地は山下へ移された。その後、佐々木六角氏が織田信長に滅ぼされ観音寺城が落城し、寺は山上に戻った。
境内には、本堂以外に鐘楼、書院、札堂、地蔵堂などの諸堂7棟が立ち並び、国登録有形文化財である。本堂は1993(平成5)年に火災で焼失したが、2004(平成16)年に再建された。2025年に観音堂の再建に伴う地鎮祭を予定。境内からは、近江富士や万葉集*に詠まれた蒲生野(がもうの)の田園風景が見渡せる。
寺の縁起によれば、近江を遍歴していた聖徳太子が、琵琶湖から現れた人魚に苦しみから救ってほしいと懇願され、太子自ら千手観音像を刻み、飛鳥時代605(推古天皇13)年、山頂に堂塔を建立したのが寺の起こりと伝えられる。
鎌倉・室町時代は近江守護の佐々木六角氏に崇敬され、盛時は寺坊が30を超えたという。応仁・文明の乱(1467年~1477年)の際に観音寺城が築かれ、寺地は山下へ移された。その後、佐々木六角氏が織田信長に滅ぼされ観音寺城が落城し、寺は山上に戻った。
境内には、本堂以外に鐘楼、書院、札堂、地蔵堂などの諸堂7棟が立ち並び、国登録有形文化財である。本堂は1993(平成5)年に火災で焼失したが、2004(平成16)年に再建された。2025年に観音堂の再建に伴う地鎮祭を予定。境内からは、近江富士や万葉集*に詠まれた蒲生野(がもうの)の田園風景が見渡せる。

みどころ
本堂の脇の傾斜面には多くの岩が積み上げられ、観音像も祀られている。本堂内の千手千眼観世音菩薩坐像は、高さ6m余の白檀に彫られたもの。境内から湖東平野の豊かな自然風景と共に、東海道新幹線が走りゆく様も見え、時の流れを聖徳太子像が見守っている。
聖徳太子(厩戸王〈うまやどのおう〉)ゆかりの東近江地域の11社寺は、近江八幡市(観音正寺、長命寺、長光寺、願成就寺)、東近江市(太郎坊宮、百済寺、瓦屋禅寺、石馬寺、市神神社)、日野町(正明寺)、竜王町(竜王観音禅寺)である。
境内への参詣道は、近江八幡市安土町石寺から石段を1200段上がる表参道と、東近江市五個荘町から上がる裏街道がある。共に途中まで車で行く経路もある。裏街道では寺の手前500mから、33枚の札がある参道「ことわざの道」が迎えてくれる。各々解りやすい文言で、「心を豊かに希望と安らぎを与え」てくれる味わい深い名句が続く。参道を札を読みながら進んでいくと、寺入口の仁王像に辿り着く。
聖徳太子(厩戸王〈うまやどのおう〉)ゆかりの東近江地域の11社寺は、近江八幡市(観音正寺、長命寺、長光寺、願成就寺)、東近江市(太郎坊宮、百済寺、瓦屋禅寺、石馬寺、市神神社)、日野町(正明寺)、竜王町(竜王観音禅寺)である。
境内への参詣道は、近江八幡市安土町石寺から石段を1200段上がる表参道と、東近江市五個荘町から上がる裏街道がある。共に途中まで車で行く経路もある。裏街道では寺の手前500mから、33枚の札がある参道「ことわざの道」が迎えてくれる。各々解りやすい文言で、「心を豊かに希望と安らぎを与え」てくれる味わい深い名句が続く。参道を札を読みながら進んでいくと、寺入口の仁王像に辿り着く。

補足情報
*西国三十三所観音霊場:近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰霊場の総称。「1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~」として文化庁の日本遺産に認定されている。
*万葉集:『茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』額田王(ぬかたのおおきみ)が蒲生野(旧蒲生郡蒲生町)で詠んだ。
*万葉集:『茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』額田王(ぬかたのおおきみ)が蒲生野(旧蒲生郡蒲生町)で詠んだ。
関連リンク | 人魚伝説の寺 観音正寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
人魚伝説の寺 観音正寺(WEBサイト) 「滋賀県の歴史散歩」滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 「西国三十三所めぐり(旅行ガイド)」昭文社 旅行ガイドブック 編集部 昭文社 「西国三十三所めぐり(観音巡礼ルートガイド)」関西札所めぐりの会 メイツ出版 「参道ことわざのみち 西国三十二番札所 観音正寺」 観音正寺 冊子 |
2025年04月現在
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