多賀大社
近江鉄道多賀大社前駅の前に大鳥居が立ち、神社まで徒歩10分の参道には土産物店が並ぶ。お多賀さんの愛称で知られ、かつて「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と里謡にも謡われ、伊勢神宮の祭神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の両親、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祀る。古くから「莚命長寿・縁結び・厄除け」の神様として有名で、戦国武将の武田信玄や豊臣秀吉らの信仰も篤かった。神社前を清流が流れ、石橋を渡り門をくぐると広い境内に導かれる。森に囲まれて壮大な社殿が立ち、厳かな雰囲気が漂う。境内には本殿右に能舞殿、左に控殿や絵馬殿が建っている。東回廊の横には寿命石(じゅみょういし)や手水舎前には縁の深い杓子等がある。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は1932(昭和7)年に再建されたもの。
主な年中行事は古例大祭(4月22日)、御田植祭(おたうえさい)(6月第1日曜)、万灯祭(8月3日~5日)、九月古例祭(9月9日)である。名産・みやげはお多賀杓子、糸切餅(いときりもち)など。
主な年中行事は古例大祭(4月22日)、御田植祭(おたうえさい)(6月第1日曜)、万灯祭(8月3日~5日)、九月古例祭(9月9日)である。名産・みやげはお多賀杓子、糸切餅(いときりもち)など。

みどころ
鎌倉時代、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が60歳のとき、東大寺再建を志し自らの延命を祈願。満願の暁に柏の葉に「莚」の字形の虫食い葉を見て、「廿(にじゅう)年延る」と読み、みごと再建を果たす。境内には重源が笈を置いた縁深い寿命石があり、莚命の信仰を集めた。
本殿の西に立つ奥書院の北庭に広がる奥書院庭園は、桃山風の池泉鑑賞式(ちせんかんしょうしき)の庭園で、書院から庭を見下ろす珍しい形式になっている。山を背に池を穿ち、出島や石橋を配し、右手に枯滝や蓬莱の石組を置く。豊臣秀吉が母の大政所の病気小康のお礼に寄進した米1万石によって造られたと伝わる。
また、717~724年(養老年間)、元正天皇が病の際にシデの木で作った杓子(しゃくし)を神供の米に添えて献上したところ、たちまち回復したという故事がある。そのシデの木が現在もある飯盛木で、杓子は「お多賀杓子」として有名である。
本殿の西に立つ奥書院の北庭に広がる奥書院庭園は、桃山風の池泉鑑賞式(ちせんかんしょうしき)の庭園で、書院から庭を見下ろす珍しい形式になっている。山を背に池を穿ち、出島や石橋を配し、右手に枯滝や蓬莱の石組を置く。豊臣秀吉が母の大政所の病気小康のお礼に寄進した米1万石によって造られたと伝わる。
また、717~724年(養老年間)、元正天皇が病の際にシデの木で作った杓子(しゃくし)を神供の米に添えて献上したところ、たちまち回復したという故事がある。そのシデの木が現在もある飯盛木で、杓子は「お多賀杓子」として有名である。
関連リンク | 多賀大社(WEBサイト) |
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参考文献 |
多賀大社(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ 一般社団法人多賀観光協会(WEBサイト) 「芸術新潮2016年8月号 神の空間を旅する」新潮社 |
2025年04月現在
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