百済寺
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の麓に位置し、名神高速道路湖東三山スマートI.Cから約10分である。西明寺(さいみょうじ)・金剛輪寺(こんごうりんじ)と並んで湖東三山の一つに数えられ、最も南にある。
寺伝では、606(推古天皇14)年に聖徳太子の勅願により創建されたという古刹。仏教が朝鮮半島の百済(くだら)国経由で伝来したことから山号を「釈迦山」、寺号を「百済寺(ひゃくさいじ)」と称する。
天台宗に改宗後は300坊を擁するなど寺勢を誇ったが、1573(元亀4)年に織田信長の焼き討ちで全山を焼失した。江戸時代に井伊氏などの寄進で本堂・仁王門・山門等が再建された。
現在は、総門(赤門)から石垣参道に沿って400mほど登ったところに本坊喜見院(きけんいん)があり、その表門内側の書院に面して壮大な池泉回遊・鑑賞式庭園がある。更に、苔むした石段の参道先に、仁王門と大草鞋(おおわらじ)が見えてくる。仁王門の正面に吊り下げられた大草鞋に触れると身体健康・無病長寿のご利益があると古くから伝わる。仁王門を過ぎると本堂に至る。
寺伝では、606(推古天皇14)年に聖徳太子の勅願により創建されたという古刹。仏教が朝鮮半島の百済(くだら)国経由で伝来したことから山号を「釈迦山」、寺号を「百済寺(ひゃくさいじ)」と称する。
天台宗に改宗後は300坊を擁するなど寺勢を誇ったが、1573(元亀4)年に織田信長の焼き討ちで全山を焼失した。江戸時代に井伊氏などの寄進で本堂・仁王門・山門等が再建された。
現在は、総門(赤門)から石垣参道に沿って400mほど登ったところに本坊喜見院(きけんいん)があり、その表門内側の書院に面して壮大な池泉回遊・鑑賞式庭園がある。更に、苔むした石段の参道先に、仁王門と大草鞋(おおわらじ)が見えてくる。仁王門の正面に吊り下げられた大草鞋に触れると身体健康・無病長寿のご利益があると古くから伝わる。仁王門を過ぎると本堂に至る。

みどころ
杉木立を縫って曲折する参道は城廓構えの堅牢な石垣を残し、戦国時代の隆盛を偲ばせる。(石垣の無いなだらかな坂のコースも有。)石垣の参道は、春には新緑、秋には紅葉の真っ赤な落ち葉の絨毯となり、四季の彩りに溢れている。「喜見院の庭園」の遠望台からは琵琶湖や比叡山が望め、別名「天下遠望の名園」と称され、特に紅葉時期の景色は格別である。
本堂は仁王門をくぐった高台に立ち、枯れた色調の朱と黒が落ち着いた構えを見せている。日光東照宮と同じ甲良(こうら)大工による1650(慶安3)年の井伊直孝(なおたか)の再建。背後に焼失前の本堂や五重塔の礎石が残っている。
本堂は仁王門をくぐった高台に立ち、枯れた色調の朱と黒が落ち着いた構えを見せている。日光東照宮と同じ甲良(こうら)大工による1650(慶安3)年の井伊直孝(なおたか)の再建。背後に焼失前の本堂や五重塔の礎石が残っている。
関連リンク | 釈迦山 百済寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
釈迦山 百済寺(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト) HIGASHIOMISM(東近江市)(WEBサイト) 「滋賀県の歴史散歩」 滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 「百済寺」パンフレット |
2025年04月現在
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