玄宮楽々園げんきゅうらくらくえん

彦根城の北東、黒門の外にあり、内堀と中堀の間に位置している。彦根藩主の井伊家の下屋敷として、4代藩主井伊直興(いいなおおき)が1677(延宝5)年に造営し、槻御殿(けやきごてん)と呼ばれていた。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び、国指定の名勝である。
 楽々園は、1813(文化10)年の11代藩主井伊直中の隠居に際して大規模な増改築が行なわれて、現存する「御書院」が新築され、御書院に面して枯山水の「庭園」も築かれた。
 玄宮園は、江戸時代に発達した大池泉回遊(だいちせんかいゆう)式の大名庭園で、大きな池に突き出すように「臨池閣(りんちかく)」が立ち、築山には彦根藩の賓客をもてなすための客殿である「鳳翔台(ほうしょうだい)」があり、園内に回遊路が巡らされている。
 池に浮かぶ蓮や菖蒲(しょうぶ)の花が咲く初夏の季節は、花の香りが園内を包み、毎年11月には「錦秋の玄宮園ライトアップ」が催されるなど、四季の趣がある。
#

みどころ

玄宮園の名は、古代中国の宮廷の名によって命名され、樹木・岩石・池を巧みに配し、池の周りに、湖南省洞庭湖(こなんしょうどうていこ)の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)にちなんで選ばれた近江八景、竹生島(ちくぶしま)や沖の白石などを模して造られている。彦根城の天守とその樹林とは、園の美しい背景と借景とをなしている。
 また、楽々の間に由来する楽々園は、往時には能舞台を備えた広大な建物だったが、現在では書院や地震の間、雷の間、楽々の間等の一部が残るのみである。
 槻御殿は下屋敷であると同時に、隠居した殿様や家族が住む「隠居所」であった。幕末の大老で桜田門外の変で暗殺された井伊直弼(いいなおすけ)は、11代藩主直中の子としてこの御殿で産声をあげている。
 玄宮園前の船着場からは、彦根城の天守閣を見ながら、城の内堀をゆったりとめぐる遊覧船が運行している。