油日神社
JR草津線油日駅から東へ歩き、ご神体となる油日岳(694m)の北西麓に鎮座する。
山頂に奥宮があり、水の神である岳大明神「罔象女命(みつはのめのかみ)」が祀られている。当社はその里宮にあたり、油の火の神を祀っている。
開創年代は明らかではないが、『日本三代実録』*に「元慶元年(877年)……近江国正六位上油日神社に従五位下を授ける」という記載が見え、これ以前から存在することがわかり、明治時代までは油日大明神と呼ばれていた。楼門は墨書から1566(永禄9)年に建立されたことが判明している。本殿は棟札より、1493(明応2)年に上棟されたことがわかる。
境内に僧坊や経蔵跡がみられることから、平安時代には天台宗の影響を受けたとみられ、中世には甲賀53家の氏神として尊崇が高く、繁栄したといわれる。現在も油の神様として全国の製油業者の信仰が厚い。
鳥居をくぐると参道がまっすぐに伸び、深い木立に囲まれて神社の建物が見える。正面に楼門、その左右に回廊がめぐらされ、中に入ると拝殿、本殿がすっきりとした美しさで立つ。楼門の右手奥に甲賀歴史民俗資料館*がある。
山頂に奥宮があり、水の神である岳大明神「罔象女命(みつはのめのかみ)」が祀られている。当社はその里宮にあたり、油の火の神を祀っている。
開創年代は明らかではないが、『日本三代実録』*に「元慶元年(877年)……近江国正六位上油日神社に従五位下を授ける」という記載が見え、これ以前から存在することがわかり、明治時代までは油日大明神と呼ばれていた。楼門は墨書から1566(永禄9)年に建立されたことが判明している。本殿は棟札より、1493(明応2)年に上棟されたことがわかる。
境内に僧坊や経蔵跡がみられることから、平安時代には天台宗の影響を受けたとみられ、中世には甲賀53家の氏神として尊崇が高く、繁栄したといわれる。現在も油の神様として全国の製油業者の信仰が厚い。
鳥居をくぐると参道がまっすぐに伸び、深い木立に囲まれて神社の建物が見える。正面に楼門、その左右に回廊がめぐらされ、中に入ると拝殿、本殿がすっきりとした美しさで立つ。楼門の右手奥に甲賀歴史民俗資料館*がある。

みどころ
すべてが重文の楼門・左右の回廊・拝殿・本殿が檜皮葺きの屋根で統一されて美しい。
拝殿は、建立年代は明確ではないが、建築様式から桃山時代のものといわれている。三間四方、入母屋造、桧皮葺。妻入で、正面と背面につけられた軒唐破風が外観に変化を与えているのが特徴である。唐破風の下、蟇股の彫刻が美しい。
室町時代の建築といわれる本殿は、三間社流造、桧皮葺で一間の向拝をつける。木割が太いので堂々とした風格を持つ。格子板に舞楽人の木彫を組み込んだ脇障子と、正面右の蟇股には雲と龍、左に竹と虎、中央には牡丹唐草に勧進者の花押が彫られている。
油の神様である油日神社には、全国油業者からの油缶が奉納されている。
拝殿は、建立年代は明確ではないが、建築様式から桃山時代のものといわれている。三間四方、入母屋造、桧皮葺。妻入で、正面と背面につけられた軒唐破風が外観に変化を与えているのが特徴である。唐破風の下、蟇股の彫刻が美しい。
室町時代の建築といわれる本殿は、三間社流造、桧皮葺で一間の向拝をつける。木割が太いので堂々とした風格を持つ。格子板に舞楽人の木彫を組み込んだ脇障子と、正面右の蟇股には雲と龍、左に竹と虎、中央には牡丹唐草に勧進者の花押が彫られている。
油の神様である油日神社には、全国油業者からの油缶が奉納されている。

補足情報
*日本三大実録:文徳天皇に続く清和・陽成・光孝3代の歴史を編年体で記した勅撰国史で全50巻。858(天安2)年8月から887(仁和3)年8月までの29年余の歴史が書かれている。
*甲賀歴史民俗資料館:館内には古文書や生活用具、忍者の里らしい甲冑類などが数多く並ぶ。事前予約が必要。
*甲賀歴史民俗資料館:館内には古文書や生活用具、忍者の里らしい甲冑類などが数多く並ぶ。事前予約が必要。
関連リンク | 滋賀甲賀 甲賀総社 油日神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
滋賀甲賀 甲賀総社 油日神社(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト) 『滋賀県の歴史散歩 上』 滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 |
2025年04月現在
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