青岸寺庭園
JR東海道線米原駅から東へ国道8号を渡って10分程歩くと、太尾山(ふとおやま)西麓に青岸寺がある。もとは米泉寺(べいせんじ)といい、室町時代初期に、近江守護の佐々木京極道誉による開基と伝えられている。その後、兵火により焼失した。
江戸時代前期に彦根藩主三代の井伊直澄の命を受けて入山した彦根大雲寺の要津(ようしん)禅師よって再興され、1656(明暦2)年に現在の寺名に改めた。江戸時代は、「米原に来た者は青岸寺にくるべし」と謳われた禅寺である。
本堂裏手にある枯山水の庭園(国の名勝)は、背後の太尾山を借景に観音菩薩が住むといわれる補陀落山の世界を石組みで表現している。庭園を眺めながら喫茶も楽しめる茶寮も設けられている。坐禅や写経などの体験(予約制)も行われている。
江戸時代前期に彦根藩主三代の井伊直澄の命を受けて入山した彦根大雲寺の要津(ようしん)禅師よって再興され、1656(明暦2)年に現在の寺名に改めた。江戸時代は、「米原に来た者は青岸寺にくるべし」と謳われた禅寺である。
本堂裏手にある枯山水の庭園(国の名勝)は、背後の太尾山を借景に観音菩薩が住むといわれる補陀落山の世界を石組みで表現している。庭園を眺めながら喫茶も楽しめる茶寮も設けられている。坐禅や写経などの体験(予約制)も行われている。

みどころ
庭園は、江戸時代初期、要津守三(ようしんしゅさん)和尚の入山時に一度築庭されたが、井伊家欅御殿に楽々園が築かれる際に、石組みごと供出して、消滅してしまった。その後1678(延宝6)年に、彦根城の楽々園を手がけた彦根藩士香取氏により作庭された。
池の中央に蓬莱島、背後に枯滝を組み、池畔に加工を施さずそのままの姿の石と刈り込みを巧みに配した林泉式枯山水庭園で、水流をあらわす白砂のかわりに杉苔を用い、深い緑のやわらかな色調が石組の間を流れるように埋め尽くされている。
特に雨上がりには、しっとりと露を含んだ庭一面の苔が趣き深い。梅雨時の水底に沈む苔の緑や、秋の紅葉も美しい。
池の中央に蓬莱島、背後に枯滝を組み、池畔に加工を施さずそのままの姿の石と刈り込みを巧みに配した林泉式枯山水庭園で、水流をあらわす白砂のかわりに杉苔を用い、深い緑のやわらかな色調が石組の間を流れるように埋め尽くされている。
特に雨上がりには、しっとりと露を含んだ庭一面の苔が趣き深い。梅雨時の水底に沈む苔の緑や、秋の紅葉も美しい。
関連リンク | 青岸寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
青岸寺(WEBサイト) 長浜・米原を楽しむ(公益社団法人長浜観光協会)(WEBサイト) 「図説近江古寺紀行」木村至宏 河出書房新社 「滋賀県の歴史散歩」 滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 「青岸寺」パンフレット |
2025年04月現在
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