永源寺
湖東の山間で愛知(えち)川の北岸に、1361(康安元)年に佐々木六角氏頼(ささきろつかくうじより)が寂室元光(じゃくしつげんこう)*を迎えて開山した。後にたびたび兵火により荒廃したが、寛永年間(1624~44)に後水尾天皇の勅により、彦根藩の援助を受けて復興した。
石段の参道を登ると、右手に愛知川、左手の石崖には十六羅漢の石仏などが奉安されている。参道一帯にはモミジ・カエデが多く、秋の紅葉期には多くの観光客で賑わう。総門の手前を少し登った所に井伊家四代目である直興の墓碑がある。5間3戸の山門をくぐると、境内には葭葺(よしぶき)の入母屋造の大本堂(方丈)、元光の像を祭る開山堂、法堂(はっとう)、含空院(がんくういん)など大伽藍が立ち並ぶ。
石段の参道を登ると、右手に愛知川、左手の石崖には十六羅漢の石仏などが奉安されている。参道一帯にはモミジ・カエデが多く、秋の紅葉期には多くの観光客で賑わう。総門の手前を少し登った所に井伊家四代目である直興の墓碑がある。5間3戸の山門をくぐると、境内には葭葺(よしぶき)の入母屋造の大本堂(方丈)、元光の像を祭る開山堂、法堂(はっとう)、含空院(がんくういん)など大伽藍が立ち並ぶ。

みどころ
境内の奥の含空院は今も残る塔頭で、1414(応永21)年室町幕府4代将軍足利義持が来山し扁額を賜り、「考槃庵(こうはんあん)」から『含空院』と改名された。兵火で延焼後、1647(正保4)年の復興後からは歴代の住職が住んだ。方丈前庭は鈴鹿の山々を借景に望み、苔と皐月に枯滝が配された築庭である。
寺は、山門付近表参道の紅葉トンネル、開山堂前の「開山のお手植え」カエデ、裏参道の黄金のカエデなど、秋は全山紅葉に包まれて、愛知川の水を朱に染める。秋の紅葉シーズンには期間限定でライトアップも行われる。
境内を散策していると、愛知川のせせらぎ、木々の奥から聞こえる鳥の鳴き声など、心落ち着くひとときが感じられる。
寺は、山門付近表参道の紅葉トンネル、開山堂前の「開山のお手植え」カエデ、裏参道の黄金のカエデなど、秋は全山紅葉に包まれて、愛知川の水を朱に染める。秋の紅葉シーズンには期間限定でライトアップも行われる。
境内を散策していると、愛知川のせせらぎ、木々の奥から聞こえる鳥の鳴き声など、心落ち着くひとときが感じられる。

補足情報
*寂室元光:1290ー1367 現在の岡山県北東部の美作(みまさか)に生まれ、中国の元(げん)に渡って修行を積む。諡号円応禅師(正燈国師)。高風を慕って多数の僧が集まったという。
関連リンク | 永源寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
永源寺(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ 東近江市(WEBサイト) 「滋賀県の歴史散歩」滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 |
2025年04月現在
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