大津祭
湖国三大祭*の一つで、天孫(てんそん)神社*の例祭。スポーツの日前日に行われる本祭で、13基の曳山(ひきやま)が市内を練り歩く曳山巡行が祭りのハイライト。豪華なゴブラン織りや精巧な金具に飾られた曳山がコンチキチンの囃子にのってゆるゆると動き、からくり人形の所作が演じられる。
慶長年間(1596~1615)に鍛治屋町に住む塩売治兵衛が狸面をかぶって四宮馬場で踊ったことが始まりとされる。1635(寛永12)年頃に曳山の原型ができ、京都の祇園会の山鉾をまねて町ごとに作られたと伝えられる。当初は曳山とともに練り物と呼ばれる仮装行列も巡行した。1776(安永5)年には14基(現在は13基)の曳山がそろう。
毎年9月16日、天孫神社に曳山町の代表が集まり、くじ取り式が行われ、西行桜狸山以外の巡行順を決める。本祭一週間前の日曜日が山建てで、山蔵に収納されている曳山を組み立てる。本祭前日の宵宮では、曳山のまわりに提灯が飾られる。本祭の朝、13基の曳山は天孫神社前に集まり、くじ改めの後、曳山の上でからくりが奉納され、西行桜狸山を先頭に出発。祭囃子とともに豪華な装飾が施された曳山は、丸一日かけて街中を巡行する。曳山の上からは厄除けちまき*がまかれ、巡行路上の20数か所で曳山の巡行を止め、からくりが披露される。こうした祭を生み出したのは、江戸時代の大津町民の豊かな経済力と心意気にあった。
丸屋町商店街内に大津祭曳山展示館*がある。
慶長年間(1596~1615)に鍛治屋町に住む塩売治兵衛が狸面をかぶって四宮馬場で踊ったことが始まりとされる。1635(寛永12)年頃に曳山の原型ができ、京都の祇園会の山鉾をまねて町ごとに作られたと伝えられる。当初は曳山とともに練り物と呼ばれる仮装行列も巡行した。1776(安永5)年には14基(現在は13基)の曳山がそろう。
毎年9月16日、天孫神社に曳山町の代表が集まり、くじ取り式が行われ、西行桜狸山以外の巡行順を決める。本祭一週間前の日曜日が山建てで、山蔵に収納されている曳山を組み立てる。本祭前日の宵宮では、曳山のまわりに提灯が飾られる。本祭の朝、13基の曳山は天孫神社前に集まり、くじ改めの後、曳山の上でからくりが奉納され、西行桜狸山を先頭に出発。祭囃子とともに豪華な装飾が施された曳山は、丸一日かけて街中を巡行する。曳山の上からは厄除けちまき*がまかれ、巡行路上の20数か所で曳山の巡行を止め、からくりが披露される。こうした祭を生み出したのは、江戸時代の大津町民の豊かな経済力と心意気にあった。
丸屋町商店街内に大津祭曳山展示館*がある。

みどころ
曳山が動き出す前にしっかりとみておきたいのは、13基の曳山の後ろ側にある見送り幕で、各曳山町所有の豪華なものが飾られている。
うごきだしたら、それぞれの曳山に仕掛けられたからくり人形に注目。からくりは中国の故事や能・狂言に題材をとっており、京都の人形師が制作した人形を含む。このからくりを演じることを所望(しょうもん)と言い、本祭巡行中、20数か所で見物人に披露される。
コンチキチンの囃子、くじ取り式で曳山の順番を決め、当日、くじ改めをして曳山の順番を確認する。豪華なタペストリーで曳山を飾るなど、京都の祇園祭の特性をうまく取り込んでいる。
うごきだしたら、それぞれの曳山に仕掛けられたからくり人形に注目。からくりは中国の故事や能・狂言に題材をとっており、京都の人形師が制作した人形を含む。このからくりを演じることを所望(しょうもん)と言い、本祭巡行中、20数か所で見物人に披露される。
コンチキチンの囃子、くじ取り式で曳山の順番を決め、当日、くじ改めをして曳山の順番を確認する。豪華なタペストリーで曳山を飾るなど、京都の祇園祭の特性をうまく取り込んでいる。

補足情報
*湖国三大祭:大津祭、長浜曳山祭、日吉山王祭
*天孫神社:四宮神社と称されたが、明治時代初期に現在の社名になる。このため現在でも地元では「しのみやさん」と呼ばれる。桓武天皇が延暦年間(782~806)に大津に行幸したとき、海神にゆかりのある彦火火出見尊を勧請したことに始まるとされる。当初は琵琶湖湖岸にあったが、元亀年間(1570~73)に現在地に遷された。
*厄除けちまき:蘇民将来伝説に因む京都祇園祭の風習を取り入れたもので、この粽(餅は入っていない)を門口に飾っておくと、厄がその家に入ってこないとされる。
*大津祭曳山展示館:大津祭を紹介する展示館。原寸大の曳山模型を中心に、町並みの様子を再現。お囃子の音響、照明、映像により、祭りムードが味わえるようになっている。映像によってからくりなども紹介している。入館有料。
*天孫神社:四宮神社と称されたが、明治時代初期に現在の社名になる。このため現在でも地元では「しのみやさん」と呼ばれる。桓武天皇が延暦年間(782~806)に大津に行幸したとき、海神にゆかりのある彦火火出見尊を勧請したことに始まるとされる。当初は琵琶湖湖岸にあったが、元亀年間(1570~73)に現在地に遷された。
*厄除けちまき:蘇民将来伝説に因む京都祇園祭の風習を取り入れたもので、この粽(餅は入っていない)を門口に飾っておくと、厄がその家に入ってこないとされる。
*大津祭曳山展示館:大津祭を紹介する展示館。原寸大の曳山模型を中心に、町並みの様子を再現。お囃子の音響、照明、映像により、祭りムードが味わえるようになっている。映像によってからくりなども紹介している。入館有料。
関連リンク | NPO法人 大津祭曳山連盟(WEBサイト) |
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参考文献 |
NPO法人 大津祭曳山連盟(WEBサイト) 大津市(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト) 『滋賀県の歴史散歩 上』滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 |
2025年04月現在
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