近江八幡左義長まつり
日牟禮八幡宮で行なわれる火祭。近江八幡に春の訪れを告げるお祭りで、例年3月14・15日に近い土・日曜日に催される。
元々は安土城下で行われていたもので、城主であった織田信長自らも踊り出たと伝えられる。信長亡き後、領主となった豊臣秀次が八幡山城の城下町を開き、安土から八幡城下に移り住んだ町衆によって再開された。
左義長は、新藁で2m余の三角錐の松明を胴体とし、その上に青竹をさして赤紙や扇・くす玉等の飾りを付け、正面にその年の干支に因んだ豪華なダシ飾りを据える。旧城下町の各町から十数基が参加し、初日は町中を練り歩く。2日目の夜には、日牟禮八幡宮境内で御神火によって焼かれる。
元々は安土城下で行われていたもので、城主であった織田信長自らも踊り出たと伝えられる。信長亡き後、領主となった豊臣秀次が八幡山城の城下町を開き、安土から八幡城下に移り住んだ町衆によって再開された。
左義長は、新藁で2m余の三角錐の松明を胴体とし、その上に青竹をさして赤紙や扇・くす玉等の飾りを付け、正面にその年の干支に因んだ豪華なダシ飾りを据える。旧城下町の各町から十数基が参加し、初日は町中を練り歩く。2日目の夜には、日牟禮八幡宮境内で御神火によって焼かれる。

みどころ
ダシは左義長正面に飾られ、その年の干支を題材にした造り物である。各町内の人々が約3ヶ月をかけて、穀物や海産物などの食品食材を使い、素材や色合いを活かす創意工夫をし、経費や手間を惜しまずに作られる。
まつり初日の土曜日午後、高さ約7mの左義長十数基が日牟禮八幡宮を出発する。揃いの踊り半纏を着た若者が、拍子木を持ち下駄を履いて、「チョウヤレ」の掛け声も勇ましく町内や日牟禮八幡宮の馬場を踊り担ぎ廻る。2日目の日曜日は、朝から各町内を練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士のぶつかり合いが繰り広げられる。午後8時から境内で順次豪華な「ダシ」に奉火され、次々と炎上する左義長で、馬場は一面火の海と化し、人々の祈りが歓声と踊りに包まれて、夜空に燃え上がる。
年毎に新たな手間と経費をかけ、創作の喜びを分かちあい協力しながら作ったダシ、それを奉火してしまう潔さ。伝統を残しながら次世代へとつなげていく趣向に、溢れる力強さを感じた。
まつり初日の土曜日午後、高さ約7mの左義長十数基が日牟禮八幡宮を出発する。揃いの踊り半纏を着た若者が、拍子木を持ち下駄を履いて、「チョウヤレ」の掛け声も勇ましく町内や日牟禮八幡宮の馬場を踊り担ぎ廻る。2日目の日曜日は、朝から各町内を練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士のぶつかり合いが繰り広げられる。午後8時から境内で順次豪華な「ダシ」に奉火され、次々と炎上する左義長で、馬場は一面火の海と化し、人々の祈りが歓声と踊りに包まれて、夜空に燃え上がる。
年毎に新たな手間と経費をかけ、創作の喜びを分かちあい協力しながら作ったダシ、それを奉火してしまう潔さ。伝統を残しながら次世代へとつなげていく趣向に、溢れる力強さを感じた。
関連リンク | 近江八幡(一般社団法人 近江八幡観光物産協会)(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
近江八幡(一般社団法人 近江八幡観光物産協会)(WEBサイト) 天下の奇祭 左義長まつり(近江八幡左義長保存会)(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト) 日牟禮八幡宮(WEBサイト) |
2025年04月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。