大笹原神社
JR東海道本線野洲駅から東に向かい、国道8号線に出合ったら、北上し、大篠原交差点を右折するとすぐにある。鏡山の北西麓に鎮座する。薬師如来の化身といわれ、神社南西方の岩蔵寺*の薬師は、大笹原神社とは一体の神社である。
廃仏毀釈が出る前までは、「天王さん」として親しまれ、除疫神としてまつられた。明治になり、境内社の篠原神社*と同じ名がつけられず、大笹原神社と改称された。本殿*は、滋賀県内の神社建築で八つの国宝の一つである。
創建は不詳だが、986(寛和2)年、越智諸実が社領を寄進し、社殿を造営したことが始まりと伝えられる。現在の社殿は1414(応永21)年領主馬淵定信が再建、のち永原重秀が修復を行ったものである。
廃仏毀釈が出る前までは、「天王さん」として親しまれ、除疫神としてまつられた。明治になり、境内社の篠原神社*と同じ名がつけられず、大笹原神社と改称された。本殿*は、滋賀県内の神社建築で八つの国宝の一つである。
創建は不詳だが、986(寛和2)年、越智諸実が社領を寄進し、社殿を造営したことが始まりと伝えられる。現在の社殿は1414(応永21)年領主馬淵定信が再建、のち永原重秀が修復を行ったものである。

みどころ
本殿の特色は、各所に配した彫刻の見事さにある。外陣は花狭間格子戸、その上の透彫りの欄間、向拝や母屋の正側面の各々柱間に挿入した蟇股、それに脇障子に施された浮彫の欄間など、装飾が豊富である。

補足情報
*岩蔵寺:重要文化財の薬師如来像を伝えている。
*篠原(しのはら)神社:大笹原神社本殿に向かって左にある境内社。1427(応永34)年の建立。建築様式は春日造。一間社と小さいが、もともとは地主神で、村の発生とともに在った神。本殿は国の重要文化財に指定されている。この篠原神社は、餅の宮・餅宮明神と称し、鏡餅発生の地といわれる。この辺りは全国的にも有名な篠原餅の産地で、平安時代より栄えた宿駅「篠原」では、東山道(後の中山道)を行き交う旅人の保存食・土産品として販売され、篠原餅は大変人気が高く名物となった。
*本殿:三間四方、入母屋造に一間の向拝を付け、仏堂風であるが、回縁を高い位置に設け、浜床をもつ点などに神社の性格をみせる。本殿は蟇股や板扉、透彫の欄間、向拝などに優れた彫刻を施している。本殿は、前から外陣・内陣・内内陣と分かれ、内内陣はさらに3室に分割してそれぞれに神座が設けられている。国宝に指定されている。
*篠原(しのはら)神社:大笹原神社本殿に向かって左にある境内社。1427(応永34)年の建立。建築様式は春日造。一間社と小さいが、もともとは地主神で、村の発生とともに在った神。本殿は国の重要文化財に指定されている。この篠原神社は、餅の宮・餅宮明神と称し、鏡餅発生の地といわれる。この辺りは全国的にも有名な篠原餅の産地で、平安時代より栄えた宿駅「篠原」では、東山道(後の中山道)を行き交う旅人の保存食・土産品として販売され、篠原餅は大変人気が高く名物となった。
*本殿:三間四方、入母屋造に一間の向拝を付け、仏堂風であるが、回縁を高い位置に設け、浜床をもつ点などに神社の性格をみせる。本殿は蟇股や板扉、透彫の欄間、向拝などに優れた彫刻を施している。本殿は、前から外陣・内陣・内内陣と分かれ、内内陣はさらに3室に分割してそれぞれに神座が設けられている。国宝に指定されている。
関連リンク | 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ |
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参考文献 |
滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ 滋賀県神社庁(WEBサイト) |
2025年04月現在
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