都久夫須麻神社つくぶすまじんじゃ

琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)(周囲2km、面積0.4km2)にある。
 社伝によると、459(第21代雄略天皇3)年に浅井比売命(あざいひめのみこと)(弁財天)を祀った祠(ほこら)を建てたのが始まりと伝えられる。724(神亀元)年、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)(大弁才天)を祀った「宝厳寺(ほうごんじ)」が創建された。平安時代末期には「竹生島権現」・「竹生島弁財天社」と称された。平安時代から江戸時代までは、日本固有の神への信仰と外来の仏教信仰が同一視され混ざり合う「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という思想で、宝厳寺と神社は一体化されていた。
 1558(永禄元)年に本殿が焼失したが、1567(永禄10)年、戦国大名浅井氏の助力により再建された。更に1602(慶長7)年には、豊臣秀頼により伏見桃山城の一部を移築して改修された。移築された建造物は都久夫須麻神社の本殿、宝厳寺の唐門として残っている。
 明治時代の「神仏分離令」により、弁財天を本尊とする「宝厳寺」と「都久夫須麻神社」に分けられて別々の法人となったが、宝厳寺の観音堂と都久夫須麻神社の本殿とは豊臣秀吉の御座船を利用した舟廊下で繫がっている。
 例年6月10日は、三社弁財天社祭として、厳島神社(広島県)・江島神社(神奈川県)と合同で、舞楽を踊り、弁財天様へ奉納する神事が行われる。
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みどころ

豊臣秀頼が移築改築した本殿は、建立年代が異なる2棟を合体し1棟とした独特の方式で、貴重な建造物として国宝に指定されている。総桧皮葺、入母屋造り。正面には向殿が設けられ、内部は狩野永徳(かのうえいとく)の絵天井、襖絵などがあり、豪華な桃山様式である。本殿内部は非公開。
 また、平家物語にも登場する拝殿からは、土器(かわらけ)投げができる。素焼きの小皿に願いを書き、岩場に立つ鳥居に向かって投げたものが鳥居をくぐると、願い事が叶うといわれている。