日吉大社
比叡山の東麓、八王子山(牛尾山)の山裾に鎮まる当大社は、紀元前91(崇神天皇7)年に創祀された全国3800余りの分霊社(日吉、日枝、山王神社)の総本宮である。古くは山王七社*といわれたように、国宝の東本宮*・西本宮*など建築美を誇る多くの社殿が、大宮川の渓流が流れる森に立つ。境内には約3000本のモミジがあり、とりわけ秋は、壮麗な社殿が周囲の紅葉に映えてみごとである。
日吉大社の開創は『古事記』に記されているように、日枝山の地主神、大山咋神(おおやまくいのかみ)と妻の鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)を祀ったことに始まるといわれ、これが東本宮と樹下(じゅげ)宮*(本殿・拝殿は国指定重要文化財)の起こりとなった。のち天智天皇が大津京鎮護のため、大和三輪山の大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請し西本宮に祀り、さらに最澄が延暦寺開山にあたり日吉の神々を一山の鎮守神とした。それ以来、天台宗の総鎮守として、比叡山の地主神として、延暦寺の発展につれて、神威が重んじられてきた。平安~鎌倉時代、比叡山の僧兵が日吉大社の神輿(比叡山焼討後に再造されたものは国指定重要文化財)をかついで、朝廷に強訴したことは史上有名である。
境内に入ると大宮橋を渡る。右手につづく走井橋・二宮橋とともに、日吉三橋*(国指定重要文化財)と呼ばれる。大宮橋を渡ってしばらく行くと、独特の形式の山王鳥居*をくぐる。しばらく進むと西本宮楼門(国指定重要文化財)に至る。楼門をくぐると、拝殿(国指定重要文化財)、国宝の西本宮本殿*となる。西本宮の東には、豊前の宇佐八幡宮から勧請された宇佐宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)、さらに北陸の白山からの白山宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)と続く。ここまでが西本宮に属する。
神輿を展示する収蔵庫の先に、八王子山にのぼる石段があり、両側にある小さな社殿は山頂奥宮2社の遥拝所である。懸崖造りの牛尾宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)、三宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)に至るには、急坂を850mほど登らなければならない。この2社の間に金大巌(磐座)があり、日吉大社の根源と考えられている。
下って登山口にもどると、すぐに東本宮楼門(国指定重要文化財)があり、中には、1595(文禄4)年の建造である東本宮本殿(国宝)・拝殿(附 旧天井格縁 国指定重要文化財)がある。ともに安土桃山時代の建造で、本殿は聖帝造である。東本宮は小比叡(おびえ)とも二宮ともよばれ、地主神である大山咋神*を祀る。
このように八幡神や白山比咩(ひめ)神*など次々と神々が勧請され、山王七社、山王二十一社、百八社と摂社・末社が境内外に立ち、地方に天台の寺や寺領ができると必ず祀られるなど、春日・八幡神社と並んでその勢威は著しかった。だが、1571(元亀2)年、延暦寺と不離不即の関係が災いし、織田信長の延暦寺焼討ちの際に社殿を全焼し、勢力も衰えた。やがて秀吉・家康の時代に再興され、この時に造営されたものが、現在残る社殿の大部分である。明治時代の神仏分離令により、延暦寺との長い歴史に終止符を打った。
しかし、天台宗の守護神として、日吉大社と延暦寺とは長い歴史的結びつきから不可分の関係にあり、第2次大戦後、古式にのっとった神仏習合の儀式が復活している。春の五色の奉幣・山王礼拝講など、神前に天台座主以下僧職が揃って詣でる行事等がそれである。
日吉大社の開創は『古事記』に記されているように、日枝山の地主神、大山咋神(おおやまくいのかみ)と妻の鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)を祀ったことに始まるといわれ、これが東本宮と樹下(じゅげ)宮*(本殿・拝殿は国指定重要文化財)の起こりとなった。のち天智天皇が大津京鎮護のため、大和三輪山の大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請し西本宮に祀り、さらに最澄が延暦寺開山にあたり日吉の神々を一山の鎮守神とした。それ以来、天台宗の総鎮守として、比叡山の地主神として、延暦寺の発展につれて、神威が重んじられてきた。平安~鎌倉時代、比叡山の僧兵が日吉大社の神輿(比叡山焼討後に再造されたものは国指定重要文化財)をかついで、朝廷に強訴したことは史上有名である。
境内に入ると大宮橋を渡る。右手につづく走井橋・二宮橋とともに、日吉三橋*(国指定重要文化財)と呼ばれる。大宮橋を渡ってしばらく行くと、独特の形式の山王鳥居*をくぐる。しばらく進むと西本宮楼門(国指定重要文化財)に至る。楼門をくぐると、拝殿(国指定重要文化財)、国宝の西本宮本殿*となる。西本宮の東には、豊前の宇佐八幡宮から勧請された宇佐宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)、さらに北陸の白山からの白山宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)と続く。ここまでが西本宮に属する。
神輿を展示する収蔵庫の先に、八王子山にのぼる石段があり、両側にある小さな社殿は山頂奥宮2社の遥拝所である。懸崖造りの牛尾宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)、三宮*本殿及び拝殿(国指定重要文化財)に至るには、急坂を850mほど登らなければならない。この2社の間に金大巌(磐座)があり、日吉大社の根源と考えられている。
下って登山口にもどると、すぐに東本宮楼門(国指定重要文化財)があり、中には、1595(文禄4)年の建造である東本宮本殿(国宝)・拝殿(附 旧天井格縁 国指定重要文化財)がある。ともに安土桃山時代の建造で、本殿は聖帝造である。東本宮は小比叡(おびえ)とも二宮ともよばれ、地主神である大山咋神*を祀る。
このように八幡神や白山比咩(ひめ)神*など次々と神々が勧請され、山王七社、山王二十一社、百八社と摂社・末社が境内外に立ち、地方に天台の寺や寺領ができると必ず祀られるなど、春日・八幡神社と並んでその勢威は著しかった。だが、1571(元亀2)年、延暦寺と不離不即の関係が災いし、織田信長の延暦寺焼討ちの際に社殿を全焼し、勢力も衰えた。やがて秀吉・家康の時代に再興され、この時に造営されたものが、現在残る社殿の大部分である。明治時代の神仏分離令により、延暦寺との長い歴史に終止符を打った。
しかし、天台宗の守護神として、日吉大社と延暦寺とは長い歴史的結びつきから不可分の関係にあり、第2次大戦後、古式にのっとった神仏習合の儀式が復活している。春の五色の奉幣・山王礼拝講など、神前に天台座主以下僧職が揃って詣でる行事等がそれである。

みどころ
JR湖西線比叡山坂本駅または京阪電鉄坂本比叡山口から山の方へ向かうと二の鳥居がある。この鳥居からの道を日吉馬場といい、昔からの道で、50を超える里坊の一帯は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。参道の両側にたくさんの石灯篭が並ぶ。これらを越えて、日吉大社の入り口の鳥居となる。
年中行事は大戸開神事(1月1日)・牛神楽祭(3月15日)・山王祭(4月12~14日)・山王礼拝講(5月26日)・紅葉祭(11月1日~11月30日)と数多く行われる。なかでも天下泰平、五穀豊穣を祈る山王祭は年間最大の神事である。
広い境内であるが、八王子山中にある牛尾宮・三宮と坂本ケーブルそばにある日吉東照宮*を除けば1時間で充分である。大鳥居~大宮橋~山王鳥居~西本宮~宇佐宮~白山宮~神輿収蔵庫*~樹下宮~東本宮~二宮橋が順路である。
年中行事は大戸開神事(1月1日)・牛神楽祭(3月15日)・山王祭(4月12~14日)・山王礼拝講(5月26日)・紅葉祭(11月1日~11月30日)と数多く行われる。なかでも天下泰平、五穀豊穣を祈る山王祭は年間最大の神事である。
広い境内であるが、八王子山中にある牛尾宮・三宮と坂本ケーブルそばにある日吉東照宮*を除けば1時間で充分である。大鳥居~大宮橋~山王鳥居~西本宮~宇佐宮~白山宮~神輿収蔵庫*~樹下宮~東本宮~二宮橋が順路である。

補足情報
*山王七社:地主神を祀る東本宮・牛尾宮・樹下宮・三宮のほかに、西本宮、八幡神を迎えた宇佐宮、白山比咩(ひめ)を迎えた白山宮をいう。さらに中世には、上七社・中七社・下七社の山王二十一社、坂本・比叡山中の神々による境外の百八社など含め、おびただしい神々が祀られた。
*東本宮:比叡の地主神、大山咋神を祭神に、二宮、小比叡社と呼ばれた。西本宮の社殿配置と同様、楼門・玉垣の中に拝殿と本殿が立つが、この垣内に摂社樹下宮本殿と拝殿、大物忌(おおものいみ)神社も置かれ、複雑になっている。東本宮本殿も日吉造(ひえづくり)で1595(文禄4)年の造営。
*西本宮:境内の西方にある。大己貴神を祭り、大宮ともいった。朱塗の楼門と透塀(すきべい)の奥に拝殿・本殿が一直線に並ぶ。本殿は日吉造といわれる特殊な形式の建物で、1586(天正14)年秀吉の時代に再建されたが、この形式のできた平安時代の様式をよく踏襲している。切妻造、桧皮葺平入の屋根の前と左右の三方に庇をつけ、正面から見ると外観は入母屋造だが背面にまわるとカブト型になっている。
*樹下(じゅげ)宮:祭神は大山咋神の妃、鴨玉依(かものたまより)姫神である。東本宮本殿・拝殿に対し直角に本殿・拝殿が立つため、楼門から見ると本殿の妻の美しい流れがわかる。本殿は三間社流造、桧皮葺、華麗な飾り金具が印象的である。拝殿ともに1595(文禄4)年に造られた。
*日吉三橋:大宮川にかかる石橋で、上流から大宮橋、走井橋(はしりいばし)、二宮橋とつづき、寛永から寛文年間に木橋から石橋に変わったとされる。3橋ともそれぞれ構造が異なり、西本宮に通じる参道に架かる大宮橋は、最も重厚にして特異な構造にできている。これに比較すると走井橋と二宮橋は簡素な造りとなっている。
*山王鳥居:ふつうの神社でみられる鳥居は明神鳥居というが、この鳥居は、別名破風鳥居・合掌(がっしょう)鳥居といわれるように、明神鳥居の上に三角形の屋根の破風をつけたような形をした、朱が鮮やかな鳥居。これは「山王」の山の字を形象したものといわれる。
*西本宮本殿:朱色の楼門・拝殿はともに国指定重要文化財で、本殿は国宝である。安土桃山時代の建造で、西本宮は大比叡ともいわれ、天智天皇が大津宮を造営するときに、大和の三輪明神(現・大神神社、奈良県桜井市)を勧請したと伝える。そのため祭神は、三輪明神と同じ大己貴神(おおなむちのかみ)である。本殿は、1586(天正14)年に豊臣秀吉が寄進したものと伝えられる。様式は平安時代の聖帝造*(日吉造)で、ほかに例を見ない。
*宇佐宮:西本宮の東隣。
*白山宮:宇佐宮のさらに東に三間社流造の本殿が立ち、その傍らに小さな見世棚造(みせだなづくり)の社殿が並んでいる。
*牛尾宮・三宮:八王子山頂にほど近く、大きな岩石の前の崖ぎわに2社の本殿と拝殿が立つ。比叡の神が最初に祭られたところで向かって右が牛尾宮、左が三宮で、舞台造の拝殿に本殿がつながった特殊な建物になっている。
*大山咋神:またの名は山末之大主(やますえのおおぬし)神。この神は「近淡海(ちかつおうみ)国の日枝の山に坐し、亦葛野(かずの)の松尾に坐して、鳴鏑(なりかぶら)を用つ神ぞ」と記されている。松尾は京都市洛西の松尾大社のこと。
*白山比咩(ひめ)神:福井、石川、富山、岐阜にまたがる霊峰白山の神様といわれる。
*日吉東照宮:境内の南西、坂本ケーブル駅に近い高台に位置する。1623(元和9)年、天海僧正によって造営されたという。日光に劣らず、平唐門にとりつく菱格子の透塀(すきべい)、拝殿と本殿を石の間で結ぶいわゆる権現造の社殿など、いずれも黒漆塗、極彩色で彫刻が絢爛豪華に飾られている。
*神輿収蔵庫:比叡山の僧兵による神輿振(みこしぶ)りで知られた日吉の神輿7基を納める。いずれも桃山時代の金工技術を使用した豪華なもので、重さは1.5~2t。山王祭に出御する。
*聖帝造(しょうたいづくり):日吉造は別名を聖帝造ともいい、全国でも稀な特殊な構造。正面三間と側面二間の三方にのみ庇を伸ばし、背面は切り落としたような屋根になっている。
*東本宮:比叡の地主神、大山咋神を祭神に、二宮、小比叡社と呼ばれた。西本宮の社殿配置と同様、楼門・玉垣の中に拝殿と本殿が立つが、この垣内に摂社樹下宮本殿と拝殿、大物忌(おおものいみ)神社も置かれ、複雑になっている。東本宮本殿も日吉造(ひえづくり)で1595(文禄4)年の造営。
*西本宮:境内の西方にある。大己貴神を祭り、大宮ともいった。朱塗の楼門と透塀(すきべい)の奥に拝殿・本殿が一直線に並ぶ。本殿は日吉造といわれる特殊な形式の建物で、1586(天正14)年秀吉の時代に再建されたが、この形式のできた平安時代の様式をよく踏襲している。切妻造、桧皮葺平入の屋根の前と左右の三方に庇をつけ、正面から見ると外観は入母屋造だが背面にまわるとカブト型になっている。
*樹下(じゅげ)宮:祭神は大山咋神の妃、鴨玉依(かものたまより)姫神である。東本宮本殿・拝殿に対し直角に本殿・拝殿が立つため、楼門から見ると本殿の妻の美しい流れがわかる。本殿は三間社流造、桧皮葺、華麗な飾り金具が印象的である。拝殿ともに1595(文禄4)年に造られた。
*日吉三橋:大宮川にかかる石橋で、上流から大宮橋、走井橋(はしりいばし)、二宮橋とつづき、寛永から寛文年間に木橋から石橋に変わったとされる。3橋ともそれぞれ構造が異なり、西本宮に通じる参道に架かる大宮橋は、最も重厚にして特異な構造にできている。これに比較すると走井橋と二宮橋は簡素な造りとなっている。
*山王鳥居:ふつうの神社でみられる鳥居は明神鳥居というが、この鳥居は、別名破風鳥居・合掌(がっしょう)鳥居といわれるように、明神鳥居の上に三角形の屋根の破風をつけたような形をした、朱が鮮やかな鳥居。これは「山王」の山の字を形象したものといわれる。
*西本宮本殿:朱色の楼門・拝殿はともに国指定重要文化財で、本殿は国宝である。安土桃山時代の建造で、西本宮は大比叡ともいわれ、天智天皇が大津宮を造営するときに、大和の三輪明神(現・大神神社、奈良県桜井市)を勧請したと伝える。そのため祭神は、三輪明神と同じ大己貴神(おおなむちのかみ)である。本殿は、1586(天正14)年に豊臣秀吉が寄進したものと伝えられる。様式は平安時代の聖帝造*(日吉造)で、ほかに例を見ない。
*宇佐宮:西本宮の東隣。
*白山宮:宇佐宮のさらに東に三間社流造の本殿が立ち、その傍らに小さな見世棚造(みせだなづくり)の社殿が並んでいる。
*牛尾宮・三宮:八王子山頂にほど近く、大きな岩石の前の崖ぎわに2社の本殿と拝殿が立つ。比叡の神が最初に祭られたところで向かって右が牛尾宮、左が三宮で、舞台造の拝殿に本殿がつながった特殊な建物になっている。
*大山咋神:またの名は山末之大主(やますえのおおぬし)神。この神は「近淡海(ちかつおうみ)国の日枝の山に坐し、亦葛野(かずの)の松尾に坐して、鳴鏑(なりかぶら)を用つ神ぞ」と記されている。松尾は京都市洛西の松尾大社のこと。
*白山比咩(ひめ)神:福井、石川、富山、岐阜にまたがる霊峰白山の神様といわれる。
*日吉東照宮:境内の南西、坂本ケーブル駅に近い高台に位置する。1623(元和9)年、天海僧正によって造営されたという。日光に劣らず、平唐門にとりつく菱格子の透塀(すきべい)、拝殿と本殿を石の間で結ぶいわゆる権現造の社殿など、いずれも黒漆塗、極彩色で彫刻が絢爛豪華に飾られている。
*神輿収蔵庫:比叡山の僧兵による神輿振(みこしぶ)りで知られた日吉の神輿7基を納める。いずれも桃山時代の金工技術を使用した豪華なもので、重さは1.5~2t。山王祭に出御する。
*聖帝造(しょうたいづくり):日吉造は別名を聖帝造ともいい、全国でも稀な特殊な構造。正面三間と側面二間の三方にのみ庇を伸ばし、背面は切り落としたような屋根になっている。
関連リンク | 山王総本宮 日吉大社(WEBサイト) |
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参考文献 |
山王総本宮 日吉大社(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト) 『滋賀県の歴史散歩 上』滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 |
2025年04月現在
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