銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)
JR東海道本線野洲駅から北東方向、弥生の森歴史公園に隣接する。
博物館の約500m北西の大岩山の中腹から、1881(明治14)年に14個の銅鐸(うち2個は現在所在不明)が、さらに1962(昭和37)年には10個の銅鐸が出土した。これらの中には、高さ134.7cm・重さ45.47kgと日本最大のものも含まれていた。その大半は近畿式銅鐸*であるが、東海地方の特徴をもつ三連式銅鐸*が4個含まれている。また、近畿式銅鐸の中にも三遠式銅鐸の特徴を持つものもみられ、この地域が東海と畿内の両地域と強い結びつきをもっていたことを意味する。
銅鐸は弥生時代に作られた青銅製のカネで、稲作を営んだ共同社会の祭りに使用されていた。最初は、音を「聞く銅鐸」としてつくられたが、やがて大型化されて装飾が華美になり、「見る銅鐸」へと変化した。
本博物館は銅鐸から弥生時代の社会を通観する博物館。1階の第1展示室では「銅鐸の謎」をテーマに、銅鐸の誕生、銅鐸の造り方、銅鐸と同じような音を出す類似物を展示。第2展示室は「大岩山銅鐸」をテーマに、地元、大岩山を中心に発掘された銅鐸が、日本最大の大きさから最小まで多数集まる。2階の企画展示室は「野洲の歴史と民俗」、大岩山古墳群、永原御殿復元模型など、地域の通史を紹介している。
博物館の約500m北西の大岩山の中腹から、1881(明治14)年に14個の銅鐸(うち2個は現在所在不明)が、さらに1962(昭和37)年には10個の銅鐸が出土した。これらの中には、高さ134.7cm・重さ45.47kgと日本最大のものも含まれていた。その大半は近畿式銅鐸*であるが、東海地方の特徴をもつ三連式銅鐸*が4個含まれている。また、近畿式銅鐸の中にも三遠式銅鐸の特徴を持つものもみられ、この地域が東海と畿内の両地域と強い結びつきをもっていたことを意味する。
銅鐸は弥生時代に作られた青銅製のカネで、稲作を営んだ共同社会の祭りに使用されていた。最初は、音を「聞く銅鐸」としてつくられたが、やがて大型化されて装飾が華美になり、「見る銅鐸」へと変化した。
本博物館は銅鐸から弥生時代の社会を通観する博物館。1階の第1展示室では「銅鐸の謎」をテーマに、銅鐸の誕生、銅鐸の造り方、銅鐸と同じような音を出す類似物を展示。第2展示室は「大岩山銅鐸」をテーマに、地元、大岩山を中心に発掘された銅鐸が、日本最大の大きさから最小まで多数集まる。2階の企画展示室は「野洲の歴史と民俗」、大岩山古墳群、永原御殿復元模型など、地域の通史を紹介している。

みどころ
展示されている銅鐸は大小さまざまだが、高さ134.7cmの日本一の大きさ(複製)の銅鐸には驚かされる。
隣接して弥生の森歴史公園があり、竪穴住居・高床倉庫、当時の水田などが復元されている。8基の古墳が存在する大岩古墳群(史跡)も周辺に点在する。
隣接して弥生の森歴史公園があり、竪穴住居・高床倉庫、当時の水田などが復元されている。8基の古墳が存在する大岩古墳群(史跡)も周辺に点在する。

補足情報
*三遠式銅鐸:銅鐸博物館の24個のうち4個が、三河(愛知県)と遠江(静岡県)を中心に限られた範囲に分布する銅鐸で、鈕(ちゅう)の頂に飾耳がなく、身の横帯には綾杉紋を採用することなどを特徴とする。
*近畿式銅鐸:近畿地方を中心に分布し、鈕の頂に双頭渦紋(そうとうかもん)をつけ、身の区画帯を斜格子紋で飾るなどの特徴をもつ。
*近畿式銅鐸:近畿地方を中心に分布し、鈕の頂に双頭渦紋(そうとうかもん)をつけ、身の区画帯を斜格子紋で飾るなどの特徴をもつ。
関連リンク | 野洲市(WEBサイト) |
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関連図書 | 「大岩山銅鐸の形成」資料 |
参考文献 |
野洲市(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト) しが県博協(滋賀県博物館協議会)(WEBサイト) 『滋賀県の歴史散歩 上』滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 『銅鐸博物館』資料 |
2025年04月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。