日牟禮八幡宮ひむれはちまんぐう

JR近江八幡駅の北西で、標高272mの八幡山(はちまんやま)の南麓にあり、「八幡さま」として広く親しまれ、近江商人からの信仰も篤く、近江八幡の地名の由来にもなっている。
 社伝によれば、131年に第13代成務天皇が即位の折に創建され、991(正暦2)年には八幡山に社を建て、九州の宇佐八幡宮を勧請して上の八幡宮を祀った。1005(寛弘2)年に遥拝の社を麓に建てた。「下の社と号す」とあり、現在の社が麓の社に当たる。1590(天正18)年に豊臣秀次が八幡城を築城した折に、上の八幡宮を下の社に統一して一つになった。
 約4万4000m2という広大な神域はエノキやムクの樹が生い茂り、銅板葺の楼門をくぐると、一段高く拝殿・本殿が佇む。
 毎年3月14・15日に近い土・日曜には「左義長祭」、4月14・15日には「八幡祭」(松明(たいまつ)祭・太鼓祭)という勇壮な火祭りがある。
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みどころ

1582年(天正10)年の本能寺の変による織田信長の亡き後、豊臣秀吉の天下へと移行する中で、秀吉の甥で養子となった豊臣秀次(1568〜1595)が近江の領主となり、八幡山城を築城、城の内堀としてと琵琶湖と結ぶ運河の「八幡堀」開削、城下町の整備、旧安土城の商人や職人を呼び寄せて楽市楽座を行うなど、商工業を振興した。八幡城廃城後もすたれることなく、商人の町として発展が続き、日牟禮八幡宮は近江商人の守護神として崇敬を集めた。
 3月の左義長祭に続いて、翌4月に行われる八幡祭は、神社周辺の十二郷が、各々自慢の大太鼓を担いで打ち鳴らし、夜になると境内で松明を引き回し、最後に10mを超える大松明に点火される。ともに、近江八幡の火祭りとして国選択無形民俗文化財となっている。
 現在、八幡山城址へは麓からロープウェイで行くことができる。また、秀次の銅像は、八幡山南麓にある市立図書館横の八幡公園の一角に、城下町を見下ろすように立っている。
関連リンク 日牟禮八幡宮(WEBサイト)
参考文献 日牟禮八幡宮(WEBサイト)
滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)
近江八幡(一般社団法人 近江八幡観光物産協会)(WEBサイト)
「八幡山周遊ガイド&マップ」八幡山の景観を良くする会

2025年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。