余呉湖よごこ

JR北陸本線余呉駅の南にあり、東・南・西の三方を山に囲まれた湖。面積約1.8km2・周囲約6.4km、最大水深13m・平均水深7.4m。南方にそびえる賤ヶ岳(約421m)により、琵琶湖とは隔てられている。海抜132.8mで、琵琶湖より約50m高い。
 もともとは、柳ヶ瀬断層の働きによってできた天然の陥没湖で、周囲の山々の渓流や伏流水が流れ込むだけの閉鎖湖だった。現在では、余呉川からの導水路、各種調節ゲート、放水路等を余呉湖に設置し、「余呉湖ダム」として余呉川沿いの洪水調整と湖北地方一帯への農業用水を送る機能が付加されている。
 古くは、琵琶湖を大江(をおうみ)、余呉湖を伊香(いか)の小江(をうみ)と称し、天女が水浴びに舞い降り、羽衣をなくして帰れなくなったという「羽衣伝説」や、「龍神・菊石姫伝説」などが伝えられている。
 湖畔はハイキングやレンタサイクルで周遊でき、また、俳人の「山口誓子」や「斎部路通」などの句碑があり、吟行にも最適である。
 ウナギ、コイ、ワカサギなどが生息する魚の宝庫で、四季を通じて釣りが楽しめる。
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みどころ

東西1.2km、南北2.3kmにも及ぶ広い湖であるが、水面がおだやかで鏡のようであり、古くから「鏡湖」と呼ばれている。その湖面には、周りを囲む山々の姿が四季折々に映し出されるとともに、湖畔では春は桜と菜の花、初夏はアジサイが咲き、自然が織りなす季節の風景に溢れている。
 通年でコイやフナ、モロコなどといった魚が釣れる。特に冬は、釣り桟橋から湖面に竿を垂れて「ワカサギ釣り」を楽しむことができ、ファミリーに人気のポイントになっている。
 周辺には、織田信長の後継者をめぐり対立した羽柴秀吉と柴田勝家が、1583(天正11)年に余呉湖周辺で激突した「賤ヶ岳の合戦」跡が多くある。賤ヶ岳山頂からは、奥琵琶湖・余呉湖、福井県境へとつづく山々から比良山系、南の霊山「伊吹山」など360度の眺望が広がる。